10.14.2009

比べることと幸せについて。

こんにちは。
永遠のテーマに思われるお題目、幸せと比較につきまして。

人生の幸せにおいて、比較という物差しを完全に捨て去る事は可能でしょうか、すべきなのでしょうか。
そもそもどうして、人は幸せ になりたいのでしょうか。。

もっとたくさん、という時代から(先進国では全体的に。)
量から質への転換しつつある私たちの社会ですが、
より”良い”質を
求める点において、現状改善型であります。
社会の根本が、富の再生産 という”もっと”に基づいているので、当然なのですが、
人間、ほどほど、いい加減 という尺度で漂っているのが幸せなんでは、という意見があります。

では、ほどほどに満たなかったら、人は不幸になるのでしょうか。
自分の幸せがわからない時は、不幸な境遇の人と比べてみたら、
恵まれている事がわかる。というのは、説得力のある現状肯定型主張ですが、
これも比較ベースですね。

次に、ただ今そこに在る事を肯定せよ、与えられた命をありがたく受け止めよう、という
宗教的な考え方があります。生きている事自体がこのうえない幸福だと。
幸せは個人の絶対的な感覚であると。
これもやっぱり有と無の間の比較から、幸せを引っ張り出してきている事になります。

そうすると、幸せという観念自体が、比較の裏返しという事なのでしょうか。
幸せになるというのは、自分の人生を肯定する というような事ですよね。
あるいは自分の周り、生きている世界についても。


肯定しないと、幸せにならないと、希望がないと。
という、こだわり、執着みたいなのは、どこから出てくるのでしょうか。。

肯定も否定もなく、有と無の境界線がない時点まで解脱するといったらば、
高校時代に習(わされ)た般若心経ではありませんか・・
(んー 本当に仏教とキリスト教って、根本的に違うなぁー)