3.06.2010

5ヶ月ぶりの投稿です。。

忙しさにかまけ、ブログをおこたること5ヶ月。
さすがに何とかせぃというお声を複数頂き、春休みの始まった今日、
久々に近況報告です。

*オバマも演説で景気への影響を触れた、大寒波。がNCをも襲い、
(おおげさですが)、久しぶりでおおはしゃぎした雪も珍しくなくなりました。
空恐ろしい電気代の請求書に震える1・2月でした。
先月からセントラルヒーティングを切り、小さいヒーターでしのいでます・・

Environment専攻として、ここで一言。寒波=地球温暖化に一息、では
ございませんので、ご注意を・・・そもそも地球温暖化という、誰かが名付けた
名称自体が、大誤解のもとなのです。気候変動、が正しい名称です。。

















力作:日本風ゆきだるま。
アメリカ風といいますと、3段がさねになります。(わかるかな?西洋人なので2頭身でないのです。)

*一大不況のさなか、9月の卒業を控えてその後の進路を考える時期に
なりました。
失業率10%でも私がほしいというような、スーパーニッチを探しています。

分野と戦略によっては不況時でも起業の方がチャンスが活かせるかも・・
とも思います。アメリカではコネとネットワークがまだまだ足りませんが、

起業を考えるという事は、仕事を探す事とはかなり異なるマインドセット
で、実現できるできないはさておき(?)、クリエイティビティを活用できるとても
いい時間なので、あれやこれやと頭を巡らせています。Environmentの分野は、
問題解決自体が文理をまたがり、(哲学や文化までも含めた)幅広い視点と
クリエイティビティを必要とするので、起業のマインドセットにも近く、
政策に携わる人も、基本的に起業家精神が必要だと思います。
Eco-entreprenuerも、とっても魅力的な分野です。
このへんの境目に目をつけている友人も、なかなか面白い人が多いと思います。

去年の11月頃ですが、Duke内での環境事業での学生起業家コンテストを聴きに行きました。
ジャッジとオーディエンスの投票で勝者が選ばれる式のコンテストです。
ああ、この人は成功するな、と大多数の
オーディエンスが投票をした学生は、
一番地味ですが一番論理性のあるプレゼンをした人でした。
着実に試行を重ね、
データを集め、マーケットニーズを掴み、地道に成果を挙げている人でした。

私も彼に投票をしたので、アメリカでの起業へのバイアスが修正されたというか、
派手なパフォーマンスと目新しい奇抜な発想よりも、本質が評価される
という例を見て、何か嬉しい思いでした。
まぁ、9割はそういったパフォーマーだったのですが。

*2年目にして、だしをとっています。
粉だしからついに、脱出しました。
Quality of life。

では、また。

10.14.2009

比べることと幸せについて。

こんにちは。
永遠のテーマに思われるお題目、幸せと比較につきまして。

人生の幸せにおいて、比較という物差しを完全に捨て去る事は可能でしょうか、すべきなのでしょうか。
そもそもどうして、人は幸せ になりたいのでしょうか。。

もっとたくさん、という時代から(先進国では全体的に。)
量から質への転換しつつある私たちの社会ですが、
より”良い”質を
求める点において、現状改善型であります。
社会の根本が、富の再生産 という”もっと”に基づいているので、当然なのですが、
人間、ほどほど、いい加減 という尺度で漂っているのが幸せなんでは、という意見があります。

では、ほどほどに満たなかったら、人は不幸になるのでしょうか。
自分の幸せがわからない時は、不幸な境遇の人と比べてみたら、
恵まれている事がわかる。というのは、説得力のある現状肯定型主張ですが、
これも比較ベースですね。

次に、ただ今そこに在る事を肯定せよ、与えられた命をありがたく受け止めよう、という
宗教的な考え方があります。生きている事自体がこのうえない幸福だと。
幸せは個人の絶対的な感覚であると。
これもやっぱり有と無の間の比較から、幸せを引っ張り出してきている事になります。

そうすると、幸せという観念自体が、比較の裏返しという事なのでしょうか。
幸せになるというのは、自分の人生を肯定する というような事ですよね。
あるいは自分の周り、生きている世界についても。


肯定しないと、幸せにならないと、希望がないと。
という、こだわり、執着みたいなのは、どこから出てくるのでしょうか。。

肯定も否定もなく、有と無の境界線がない時点まで解脱するといったらば、
高校時代に習(わされ)た般若心経ではありませんか・・
(んー 本当に仏教とキリスト教って、根本的に違うなぁー)

9.26.2009

それで、日本のいいところ。

先ほどのBlogを書いているさなかに起こった事で、
感情的に書いてしまうだろうから、迷いましたが、やっぱり書くことにしました・・

学校のカフェで、背中に置いていたジャケット(結構いいやつ)が、
先ほどPCの画面に集中している間に盗まれました。前回のかばんまるごと
盗難事件に続き、構内でものを取られたのは、これで二度目です。
どちらも状況からして、犯人は学生というより外部の人間の可能性が高いです。
(Dukeは犯罪度の高い地域と隣接しており、学生は常に狙われている。)

Broke-inに遭うよりましだと思うべきですが、
重宝していたものが無くなると、本当に不便だし
悲しいです。
(前回は日本の免許証を盗られたので
アメリカで車を運転できないという状況は本当に不便!)

しかも、本当に食うに困って盗っているという感じでない
所が悲しいのです(それなら理解可能。)。

それで、日本のいいところは、社会から強制されているとはいえ、
階層限らないモラルとか道徳観かなぁと思いました。
嘘をついてはいけないとか、ものを盗ってはいけないとかが、貧乏金持ちに限らず
個人の品性とリンクしているところ。
貧しいからって騙したり盗むのは徳が下がる。
みたいな感覚
。そういう意味では、日本に限らないな。。

ともかくアメリカ人の社会参加をほめていた時に、アメリカのゆがみを
経験してしまいました・・うーむこうして考えると、アメリカの人種問題は、
(人種問題に還元するのは怒られそうですが、正直この地域では本当に犯罪と
人種がリンクしてしまっております)まだ私には把握しきれません。。。
かなりのアメリカ人に聞いた所では、私達差別されてきたから優遇されて当然盗って当然、
というのがあり、人種間の隔絶は本当に大きく、彼らに言わせても、当面の解決策見出せず・・
(よって隔離にいたる)という事です・・


難しいですねぇ、社会って。


3ヶ月も経ってしまいました・・

Blogを書き怠ること3ヶ月・・ここDurhamは秋の気配に包まれ、
Panamaでの日々が夢のように感じられます。

8月後半から秋学期が始まりました。今期は公共政策中心に
授業を取っています。(計量経済、公共財政、環境法)

日本では政権交代で色々と画期的な政策が実現の方向にあるようで、
ひとまず自民党政権の政策を形成していたステークホルダーの偏りが
各分野において調整されるのは好ましいことです。

ここ米国でも、日本の政権交代はそれなりに注目されていますよー。
(特に気候変動政策など、国際社会に与える影響において)
現実的な課題は色々あるにしても、ひとまず変化自体を前向きに捉えたいものですねー。

基本的に民主主義派の私としては、
若い人の政治や政策への関心を高めるようなムーブメントには
ぜひ参加したいなと思います。(教育への織り込みやNPO活動など・・)

アメリカ人は、もちろん全員が政治活動家ではないですが、
日常の事(学校の自治会やら何やら)から始まって、
公ごとへの参加・イニシアティブは特別でも何でもないです。
(日本だと、自治会ひとつ取っても、何かと出る杭打たれるですからねー)

しかーし、日本が
公の事はお上が決めるという、平民意識から
脱出するのは、相当時間がかかるのでしょう。。 
儒教の歴史が長い地域だけあって、もう、幼稚園小学校の頃から、考えず上に従う
という風に育てられていますからねー。

興味深い事に、他の東アジアの留学生を観察すると、日本人に酷似するのが
授業や学校等への態度(わかんなくても全く質問しない、発言しない。)。
教授や大学と一緒に授業や環境を形作るようなアメリカ人学生の感覚とは正反対ですよー。
文化の奥の深さを感じます。。。

政治に携わる事がかっこ悪い、めんどくさい、さらに言うと会話のタブー という
世界的に謎すぎる日本人の感覚も、儒教だとかに根ざしているのでしょうか・・

見本になる市民社会を形作るのは、”先進国”としての世界への義務だと思うんですけどねー。。
経済だけ先進では、国として評価されないですもんねー。。

ともかく、民主主義が機能する未来に向けては、スタート地点は
本当に足元からなんだろうな・・という事で、色々オプションを探してみたいなと思います。

7.01.2009

Exploited Panama, and unexploited Panama.















今週もビーチ後、くらげ・プランクトンアレルギー反応が体に現れ、痛いわ痒いわで夜眠れないパナマの毎日です。
海に入った後は、体をよく洗いましょう・・

とうとう本日、1ヶ月放置されていたアメリカからの荷物を受け取る事ができました。
郵便局のサービスがものすごく悪いこの国では、荷物が無事届くかどうかは
運次第なのです。とにかく荷物にはカメラのコネクションケーブルを入れてもらっていたので、
写真をとうとうアップする事ができ、幸せです。
















都会の環境は前述のとおり悪いパナマは、田舎に行くとこのとおりの美しさ。
先週は私のスクールの卒業生の家族が暮らす、カリブ海に浮かぶ宝石の島々、先住民Kunaの自治区
San blas islandsを訪れてきました。
ジャングルの中の農耕地など、知り合いがいないと入れないような場所にも案内してもらい、
漁労農耕で暮らしを立ててきた先住民Kunaの今に触れさせて頂きました。

こと私はKunaの刺繍アートMoraに大変心を奪われており、(伝統刺繍が大好きです)
自然をモチーフに自由に表現される世界観の生まれるところを見たいという願望が
叶えられました。
















特にこの時目にしたMoraは息が止まるような精巧な美しさでありました。

例にもれず、近代化に伴ってKuna社会にも変化は否めず、特に一部の島では
”先進的な暮らし”への憧れと閉塞感、伝統の喪失が目に見え、心が痛むものがありました。
それでもまだ、あまり外の手がついていない島では、
たとえばこのようなアートを通じて表現される独自の精神性が保たれていたり、
劣等感ひとつもない生き生きとした
子どもたちを見ることができました。
(私はいつも子どもの表情や行動でその社会を見るのですが、みなさんはどう思われるでしょうか・・)


外の社会とのコンタクトにより伝統的な社会のバランスがいったん崩れると、
社会を立て直す事は大変難しいものと思います。どの先住民社会にも見られる事です。
たとえばHealth careを取ってみると、Kunaの年配の世代の観察を通じて、”原始的”な生活にまつわる
怪我や事故(水難、野生動物との遭遇etc)のリスクがより高かった一方で、食生活や栄養、身体的な健康度は
今のKunaよりも優れていたのではないかと推察されます。(先代から続く自給自足の食生活とハードな肉体労働)
現在はより安全な生活である一方、炭酸飲料とフライチップスが食生活に蔓延し、フレッシュフードのバラエティは
限られ、缶詰等の加工食品が活用されています。

その他、コンクリ製の現代家屋に置き換えられた
伝統的な建築(自然素材)が実はよっぽど気候に合う事、
プラスチックなどの近代的なごみで海が汚染されている事など、社会の変化に応じて生じたマイナス現象の調整が
多々必要に思います。

TVで外の社会が見られる時代に、過去と同じ生活が同じ価値観に基づき継続できるわけではありません。
若者に外に出るな、伝統を守れと押し付ける事は至難の業です。一方で、伝統の暮らしに含まれる労働の喜びや
文化の豊かさ、精神と身体の健康の知恵を伝えるような試みが、どれほどなされているのでしょうか。
Kunaはこと希少性の高い文化を持つ民族ですが、Kunaの人の話を聞くにつけ、驚くほどに伝統の承継に対する
サポートがされていません。

自分の社会のオリジナリティと、
外の社会の文明・科学・価値観を踏まえた上で、
バランスの取れた地域社会経済のイメージを持つ事がポイントではないでしょうか。

ところで昔の暮らしに近しい生活を送ってみると(水汲み洗濯漁労採集などなど)、
水道電気ガスなどのインフラや生活を支えるマシーンが当然のように使える現代社会
の”ありがたさ”に気づかされ、一方で”発展”しすぎた社会の無駄や地域独自の知恵の損失に目がいきます。

個人的には、適度に生活条件のよい(水とガスと電気があって(ガスと電気は自然エネルギーで確保可だから、
水道が地下か川から引ければよし。)風土病が少なく、気候厳しすぎず、インターネットにちゃんと
つながる。)、かといって便利すぎず、原始の自然の力が残っているような場所での田舎生活が、脳と体と精神のバランス上一番いいなぁと思っております。 そんな場所、あるかい!と思われましたでしょうか・・


6.02.2009

パナマ怒りの車社会。

首都パナマシティに住んで3週間。
週末は毎週海と、いい生活を送らせていただいておりますが。

これだけはいいたい、書かせていただきたい。

パナマ市の車社会は本当ーにひどいんです。

都市交通政策など、存在しないと思われます。車(の騒音と排気ガス)嫌いの私には、とても辛い環境なんです。。。うぅ。
これがために、パナマでの生活のストレスが10倍増なのです。。

どのようにかというと、例えば6車線の道に信号がないため、炎天下15分ほど、ディーゼルの煙を吸いながら猛進する車が途切れるのを待つという事態が起こってしまいます。一瞬の隙を見逃さず、すかさず横切る強い決断力が必要ですが、0.5秒の判断を誤るとさらに5分10分と時が過ぎ・・10分で済む所、30分かけて行く羽目になるのです。

・公共交通がない。
・歩道橋がない。あっても自転車は登れない。
・歩道がぼろぼろ。
・自転車道がもちろんない。(いまだに私以外一人も自転車に乗っている人を見ない)
・信号がほとんどない。
・歩行者横断用の白いしましまがない。その前に人が20人立っていても誰もとまらない。
・車の量が異常に多い。
・殺人的運転。全員がカーチェイスをしているようです。角にさしあたるとなぜかスピードアップ。自転車で角を
曲がる際は命がけであります。
・ディーゼルで空気がひどい。
・クラクションがすさまじい。
(注意喚起のぴっぴーでなく、各人ぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと鳴らしながら走行。)
・毎日4時間ほどのひどい渋滞が7-9時、4-6時と発生。渋滞ストレスで運転はますます荒くなるばかり。
・各車、道路の真ん中に駐車。よって3車線は一車線となる。

こんなにも家の外の環境がひどいと、この都市には住みたくないと思ってしまいます。
歩行者横断道路で停まる日本のドライバー、常に道を譲るアメリカのドライバーなどは、もはや神です・・

なお田舎に行くと、巨大クレーターだらけの道に結構出くわします。トラックが走行中に破壊した穴との事。
穴を避けて紆余曲折しながらのろのろと走る車の列は、障害物競走状態で、遠めにかなり笑えます。
5倍ほど時間がかかってしまうわけですが・・ それでもまだ、道路におけるマイノリティ人権が存在しないパナマシティよりは、ましです・・
田舎でのリサーチ開始を心待ちにするのみ。

今日はクラゲアレルギーのかゆみもあり(?)、ストレス気味のため
少し、ぐちらせて頂きました。次回は前向きにブログしたいと思います。

5.18.2009

Panamaでの生活開始。

パナマでのサマーリサーチが始まります~。

昨日は初日にしてビーチを満喫してしまいました。(日曜日なので。)
2日目の今日はホストのTNC Panamaとミーティングをして参りました。
希少価値の高い熱帯林を保護すると同時に、現地の持続的発展を支える代替事業が
社会経済的に成り立つかどうかというようなリサーチです。楽しみです!

雨季真っ只中のPanamaの気候は、今の所そう悪くはありません。曇りがちで
直射日光が避けやすいですし、雨も大して強烈でもありません。暑さは
Durhamの真夏と全く変わらず・・ Fieldworkには泣ける気候ですが、普段の生活はむしろ
Dryseasonより負担が低いように思います。

強烈な蚊の攻撃だけは、泣けます。蒸し暑いのでなるべく素肌を出したいものの、
一匹だけでも、刺されるとアレルギー反応で痛かゆくて寝られないぐらい、腫れます。(;_;)うっうっ

ルームメイトのCarlaがハイセンスな生活観の持ち主なのも、ここでの生活に大きな楽しみを加えてくれています。
都会暮らしながら、アーティストの彼女のアパートはアンティーク家具とアートに囲まれ、
食器もアンティークだし(ちゃんと本物シルバーのカトラリーを使っているし!)、かといって高価ぶったもの
は一切存在せず、草食中心の食生活にレンジもテレビも存在せずと、大変わたくしとしては心地よい場所です。
成長甚だしいパナマの都会人にして、古き良きものを慈しめる珍しい人のひとりです。
Calraはすごく小さくて全くの美人で大層性格がよく、存在自体がプチフランス菓子みたいな可愛さで、
一体どこからできたんだと聞きたいぐらいです。(+_+) (もちろん母のお腹から・・)
彼女といると、パナマを少し違う視点から見られるように思います。

明日からリサーチの方も色々と動き出します・・3ヶ月張り付きなので、日本に帰る事ができません。
その分、よい夏にしたいと思います。