8.28.2010

こどものこと。


こちらのこどもたちをみていて思うこと、多々あります。

前述の通り多産の農村社会、大量?のこどもを村々で見受け、接することになります。


1.子どもにも社会がある。子どもには子どもの世界がある。

少子化社会の日本に米国。子どもは1人や2人単位で家族に大事にされながら育てられがち。
しかしこちらの子どもたち、大人の注目なしでもそれなりにちゃんと子ども社会が成り立っています。

大人は大事なポイントに限り、(危ない時、暴力などがあるとき)折に触れて、誰の子彼の子構わず、子どもを厳しく叱ります。

しかし大人が子どもを遊びで構ったりすることは、乳幼児以外殆どみられません。

子どもも、大人の関心をいやに引こうとすることもありません。

子ども同士で構いあっているから。

(これは大人が教えていることですが)年長が年下の面倒を始終きっちりみているので、大人の手放しで子どもは育っています。















とっくみあいっこ。
2.子ども、はたらく。


これについては色んな意見がありそうですが、私はこちらの子どもたちの健気な働きっぷりに、感心させられています。

学校はちゃんと行っているのですが。

6歳ぐらいで農繁期には子ども用のちっちゃな鍬をかついで、大人と一緒に畝作りからやります。

3歳ぐらいでもう赤ちゃんの面倒も見れるし、大人の言う事をよく聞いて動きます。

私たちのようなお客さんが外から来たら、ベンチを持ってきてくれたり水を持ってきてくれたり・・


立派に社会の一員なのであります。


子どもは労働から完全に自由であるべきだという意見が割と正当と見られているように思います。

もちろん教育の機会を与えず子どもを酷使するような環境、危険な労働環境などは、子どもの将来を奪う事になるでしょう。

でも、子どもが小さい頃から大人と区別された王子様お姫様扱いをされずに一人前の人間として扱われるという事自体は決して悪いことではないと思います。

区別されないことによって、子どもは、生活力や社会力、日本語で言うところの”生きる力”というやつを早く身に着けていっていると、私は思っています。


こうやって育っていくので、自然と20歳ぐらいで一家の長にもなりうるんだろうなぁ・・このような社会では10歳以上早く、人が大人になるように見えます。













カメラを向けると子どもの反応はさまざま。

彼は中々クリエイティブで、いけるポーズを色々と付けて来ました。

8.15.2010

そろそろポレポレから脱出


先週まで、激しい発疹に見舞われて何も手付かずの日々が続きました。
ようやくそれも引き始め、1ヶ月を経過したこの田舎町での生活を振り返り、
そろそろポレポレペースから脱出しようと試みています。というのは、このまま暑さと
(8月になって暑くなってきました)のんびりペースにやられて、脳を一切使わない日々が数ヶ月続くと、
先進国で復帰不能になると、確信したからです。

トライアル1 通勤勉強
世のサラリーマンの皆様は、単調な通勤生活に彩りをつけるべく、
到着駅のひと駅前で歩いてみたり、電車で語学学習をしたりといった事をなさいますね。

村までルート変えようのない畑の一本道を片道40分以上はバイク通勤(アシスタントが運転)している私は、
雲の形とか草や木や作物の種類の観察でポレポレとすごして来ましたが、ネタも尽き、居眠りで転がり落ちるのが
心配な毎日です。

むしろこの時間を生産的に活用すべきではないかと、日本人的に思い立ちました。

そこで、アフリカにいながら強引に、スペイン語学習(脳内シナプスのぶつ切れ状態を改善する目的)。
エンジンがうるさすぎて音声は聞けないので、単語帳をアシスタントの後ろで読もうという魂胆です。
明日から実験開始。

トライアル2 TVで勉強
なんとメキシコのSoap dramaが流行っているこちら。音声でも勉強できるじゃないか!
と思ったら私の部屋からはチャンネル入らなかった。。ムスリムチャンネルはばっちり(オーナーがムスリム)なので、
コーランでも勉強するかぁ?とりあえず今週から始まったラマダンには参加してみることにしました(いつまで続くか・・ちなみn改宗したいからじゃなくて、村でお昼ご飯食べていたら、村人みんなの飢えた目が怖いからです。)


話は変わりますが、ちょっと暗い女性の状況について先日書きましたが、ちょっと偏見入っていたかも。
女性は女性でそれなりにやっていっているようです。貯金も自分で耕した畑の作物を売って、作っているようです。
といっても用途は服とかなんだけど。
子供何人ほしいか、ある人に聞いたら、産めるだけ産みたい とのことでした。。


8.08.2010

ここでの私とは・・

女性の話の続きですが、

例外パターンとして、町に30年住んで政府で働き、引退して村に戻ったという学歴のあるおじさんがいました。

これが私の奥さんだよ、これが私の母だよ、と嬉しそうに身近な女性の紹介をしてくれたのは、彼が唯一、です。


さて最近、大枚はたいて、ここくんだりまで来ている自分に、ちょっと幻滅ぎみです。

この人たちといいましても、村人でも金持ち地主もいれば、明日の飯にも困る貧乏家庭もあります。

新しい技術導入にやる気のある人も、現状維持で結構の人もいます。

しかし、やはり総じて言うと、貧乏です。

子供を高校や大学に送る資金的余裕はない家庭がほとんどでしょう。

インタビューするんなら肥料くれ、と言われます。

援助漬けと呼べばそうかもしれないし、彼らが、中から変えていくリーダーシップに不足しているのも、確かです。

しかし明日の飯に困ってる人を前に、USAくんだりから来て学術インタビュゥのみをしている、私という個人のあり方の方も全く問われるべきです。

女性のこと

村で調査をするようになってから、女性の地位というものをよく考える。

私のインタビュー対象は世帯主、ここでは100%男性、である。

そして私の訪れる村では女性と男性の生活圏は完全に離れている。

私がインタビュー場所としている広場で、休憩時間にたむろしているのは男性だけで、女性はなんやかやと家の方で家事をしている。

男性が食事をする場にも、女性は来ない。(というより恐らく、文化的に、来てはならない。)

まず確かに、村の集会に女性が参加して意見を言う機会はない、と見られる。

私自身男性の場所にしか行かないので、女性の生活に目を向ける機会が、あまりなかった。(私は女性にして男の服(シャツ&パンツ&田んぼを歩くための長靴)を着、男性の場所にしかいない、変な人なんである。)

が先日、モスクの壁に 女性厳禁 と書いてあったのと、色んなことわざなんかが彫ってあったりある家々の壁に、完璧女性蔑視の文言を見たときに、気になり始めた、女性の地位。

最近気がついた事だが、村で女性がよく、亡くなっている。

統計学的に全然正しくないサンプリングだが、3週間でもう3人もなくなっている(周りの村むらで)。

インタビュー時にも、一人目の奥さんなくなったから、二人目もらいました、という話が時々出る。

ちなみに男性がこの辺でなくなった話はまだ聞いていない。

この地域ではやはり、女性の平均寿命の方が男性より短いのであろうか。

先日なくなった方の死因は自然死(夜寝たまま、朝起きなかった。)、50歳ほどの方との事。

今まで回った村で、太った女性を見たのはたったの一度だけ(彼女はハッピーに見えた。愛されているのだろうか)。女性は大体、すごく、細くて、なんだか儚い顔をしている。底抜けに明るいアフリカンマムみたいな人には、なかなか会う機会はない。

あ、もちろん村では男性も大体、引き締まった体か、痩せてはいるが。(太っているのは農業をしていない人。)

そしてお腹の大きい女性が大変多い。23歳の男性で子供5人という人がいた。71歳で今度赤ちゃんが生まれるという老人がいた。確か2人目の奥さんで、20人目のこどもだったか。女性は常に孕み続けているのである。労働力として生みおとされた子供たちが、教育を受ける機会があった場合、その後多数は村を去るだろうにも関わらず。
バースコントロールなる言葉は、この社会では、存在していない。多産では、身体的な負担も、やはり多いのではないだろうか。

原始的な農業の村では、男性が力仕事、女性が家事労働となるのは、ごくごく自然な事と見受けられる。
が、やっぱり個人的には、女性が男性の下に位置づけられている事と、健康上のリスクを取りながら出産マシーン化している事は、納得、いかない、のである。。。

7.26.2010

Tasty Nigeria

Nigerian food is not so bad.

With a life in a hotel (hostel in accurate expression) in a location far from the town center, I tend to rely on street food venders for sustaining my energy and nutrients. Chili called Pepe is in almost every food, spicing up and giving me power to survive hard life here. I feel this chili based food diet may have been developed here with poor sanitation condition. I feel this chili is killing around germs and bacterias before they reach to my stomach... the flavor is a bit closed to Kimuchi when it is used for soup or meat stews. White bread is also nice here, definitely better than factory made cheap bread in USA. It contains a bit of sugar and oil, tightly made and has a good volume.
I, almost a vegitarian when I was in USA, now eat meat everyday. And my body changed amazingly. In USA my stomach really couldn't take animal protein or too spicy food. Here it is as if my body knows the reality that anything coming down to the stomach should be digested well for the survival. My stomach is very well conditioned and has no complaint with this sudden change of my food diet. I feel so much gratitude to my body which supports my life.




To show some of my dinner menu here..




Maize, tomato, grilled meat and banana. Too wild and simple? I am doing my best to balance nutrient!


BTW this maize's texture is amazingly wild, I mean so hard with few moisture in the seeds... it is almost like peanuts! But this hard and chewy creature is seriously addictive. That is (kameba kamuhodo ajiga deru.) Now I feel I am eating something more substantial than soft and sweet corn in USA or Japan and want to eat it almost everyday...


Pepe soup with meat, pepe soup with fresh fish (no alternative than Chili taste..) wrapped stuff is called Amara (lightly fermented cassava cake). This amara tastes very much whole grain and I feel it may be more nutritious than white rice. (No brown rice is available here.. ) The green colored sticky Okura sauce mitigates hot taste of Pepe.

Also in my village research, I am encountering fresh and nice (and safe) food supply time to time. Fulani, nomad comes to sell their fresh cheese which is very good. Villagers today gave me a sort of Kinako dango (sweet cake made by bean powder and some other grain powder) again tasted with Pepe.. this one is seriously addictive (sweet spiced with chili is always nice). Small fun can decorate a simple life lot.

7.24.2010

特別であること

通勤で使っている(調査アシスタントのS氏が運転)バイクの不調で、修理屋に立ち寄った。



修理屋といっても雨よけにヤシの葉がのっけてある、看板も壁もない一角で若者が営む、その日暮らしの商売。

彼らは直す事を知っている。バイクの部品なんか、ちょいちょいと分解してしまう。体で覚えたことを商売にして、



時間をかけて直してくれたお代は60ナイラ(40セント)。ぼることもしない。カメラを向けるのもはばかられるが、お願いして撮らせてもらう。






























その横で何にもせずに横たわっている別の若者が、ピーナツ俺に買ってよこせと言った。あげてもよかったけど、何でおまえに?と思い無視。ふくれていた。このように人によって、無心する人としない人がきっぱりとわかれる。


今日宿に戻ったら、昨日からとなりの部屋に女性を買って呼んで騒いでいる、政府勤めだというNigeria人が表でごろごろしていた。Nigeriaの役人は民間人よりだいぶ信用できない。俺にはヘルメットくれないのと言った。本気でもないがひとまず無心するのがここの一部のかたがたの習慣らしい。

ついでに君や僕みたいな特別な人間はどーたら、と話しかけてきた。ちょっと、イラッときた。

(Nigerianのスーパースローペースには、まったくいらつかない私であるが。)

この国で特別なのは40セントでこつこつまじめに暮らしている修理屋の彼みたいな市井の人じゃボケ。と言いたくなった。




アフリカは貧しいと人は言う。


豊かな国の我々は生活にさして関係のない享楽に金をつぎ込んで、それを豊かさと呼んだりしている。


すれ違っても挨拶しない、隣の住人も知らない。



水が出るだけ、電気が来るだけ、雨が降って食べ物が実るだけ、寒をしのぐ衣服と建物があるだけ、

それだけでありがたいと感じられる事はとても大事だと思う。教育と医療、交通や通信などのサービスが手に入る事が豊かだと思える事も。


という事自体を思い出すことのできる機会を持つことは、大事だ。


村では子どもたちが農作業を普通に手伝って、姉が妹の子守をする。兄が弟の面倒をみる。


すれ違うと時間をかけて丁寧に挨拶。ようこそお越しくださいました、旅はどうでしたか、お疲れ様です、どうもお疲れ様です。


知らない私に食べ物を差し出してくれる。あぁどちらの心が豊かなのでしょうか。


7.21.2010

Where cultures meet

Nupeland should have had Arabic influence before.

This house has an Arabic caligraphy on the wall.




They say they can speak Arabic because it is the language of Colan

but I think there should be a time when Arabic tribe came down to transcend the language.


Where tribal society remains, culture is so locally unique.