一人暮らしのNigeria、4ヶ月目に入りました。
私のいる場所ですが、単独調査のため、似たような立場のInternationalなどが一人もおりません。
2ヶ月目ぐらいから、周りに世界を共有できる人がいないため、だんだん頭がクラクラとしてきました。
普段から、Nigerianとはなるべくコミュニケーションを取るようにしており、笑いが好きな彼らとの会話は、結構楽しんではいます。
が、教育や社会のバックグラウンドを共有していないためか、哲学や人生論では共感がお互い難しいところです。
地元で売っている本は、聖書かコーランのみ。。
なので、精神的Inputの少なさに苦しんでおります。
またアフリカは部族の数は大変多いものの(Nigeriaも確か200以上の部族がある)、一部の国の首都などを除くと多文化社会ではないので、日本で欧米人が辛い気持ちになるのと同じ心境を味わっております。(殆どの人がこちらを外人として見ているので、人間として深入りしてこない。)勘違いモードで語ると、セレブリティの孤独とも似通っているような・・(誰しもが自分を観察していて、もてはやされはするものの、表面的にしか見られていない・・)
そんな事もあり、最近は結構部屋に引きこもって本を読んだり、ヨガをしたり、自炊をしたり、マイワールドを確立する事に専念していました。
ここ2週間、友人が以前プレゼントしてくれた、Three Cups of Teaという本をひたすら読み続けておりました。
パキスタンの偏狭の地で学校建設のプロジェクトを10年やってきたGreg Montensonというアメリカ人の感動実話です。
ちなみにこの本、本当によいです。私は数限りなく、感動のあまり涙いたしました。
一人の人間が世界を変えるという実例です。日本語版も出てますよー(カタカナタイトルで)。
子どもに教育をもたらすための、文字通り生命を削っての彼の努力には誰しもが圧倒されると思います。
さらに、外人と見られ外人としてふるまうのではなく、現地の言語・習慣に完全に溶け込んで、同じ釜の飯を食い一緒に汗水たらして働く様子は、驚きですらあります。(どうしてそんなに自然に、異文化に溶け込んでいけるのだろうか?)大多数の援助機関とは、スタンスが全然違います。
Homesick気味のわが身を振り返ります。
違いではなく共通点に目をむけているだろうか。。。
人間として一人ひとりときちんと接せているだろうか。。。
してもらう事よりも、自分ができる事にフォーカスできているだろうか。。。
10.09.2010
9.27.2010
世界いろいろ
先週まで、Visitorが1週間Bidaですごして帰って行きました。
住み慣れた地に関する再発見がいろいろありました。
自分と違う人間の新鮮な視点でみるこの地は、随分違って見えるものだなぁと実感しました。
インターネットの回線が悪いので、随分前から、撮り溜めた写真が全然アップロードできないのが、とても残念です。
最近思うことは、世界は多様性に満ちているけれど、どこでも人間基本は同じだなぁー という事。
昔から私は世界一周して全大陸を制覇し、違う文化に触れてみたいと思っておりました。
今回、未踏の地あふりかに足を降ろせた事は、子どもながらの夢という点でも大変嬉しいことでした。
近代化されていない場所に行くほど、社会制度や文化習慣が驚くような違いに出会います。
一方で人をひとりひとり取り上げていくと、どこの社会でも同じように、個性があり喜怒哀楽があり、世界すみずみまで行っても人間が同じである事にほっとさせられます。
これからも行った事のない場所、特に文化的な特徴の強い場所に、機会があれば旅行ではなく、数ヶ月ー数年単位で住んでみたいなぁ・・
中近東とか、、南米とか、、東欧とか、、アマゾンの奥地とか、、Polinesia,Micronesiaとか、、
しかしそのような生活では、単なる一時滞在者として何も残さず去っていく空しさは大変大きいです。旅は若いうちにせよとは、この事ですな。やはり決まった場所に根を降ろしてそこで何かを作り上げていく作業にも、いい加減取り掛かりたいです。
人類の大半と同様、私も根が農耕民なんだろうなぁ。(最近この地の遊牧民と農耕民の生き方を比べながら、人生と文明を見直しているのです。。)
住み慣れた地に関する再発見がいろいろありました。
自分と違う人間の新鮮な視点でみるこの地は、随分違って見えるものだなぁと実感しました。
インターネットの回線が悪いので、随分前から、撮り溜めた写真が全然アップロードできないのが、とても残念です。
最近思うことは、世界は多様性に満ちているけれど、どこでも人間基本は同じだなぁー という事。
昔から私は世界一周して全大陸を制覇し、違う文化に触れてみたいと思っておりました。
今回、未踏の地あふりかに足を降ろせた事は、子どもながらの夢という点でも大変嬉しいことでした。
近代化されていない場所に行くほど、社会制度や文化習慣が驚くような違いに出会います。
一方で人をひとりひとり取り上げていくと、どこの社会でも同じように、個性があり喜怒哀楽があり、世界すみずみまで行っても人間が同じである事にほっとさせられます。
これからも行った事のない場所、特に文化的な特徴の強い場所に、機会があれば旅行ではなく、数ヶ月ー数年単位で住んでみたいなぁ・・
中近東とか、、南米とか、、東欧とか、、アマゾンの奥地とか、、Polinesia,Micronesiaとか、、
しかしそのような生活では、単なる一時滞在者として何も残さず去っていく空しさは大変大きいです。旅は若いうちにせよとは、この事ですな。やはり決まった場所に根を降ろしてそこで何かを作り上げていく作業にも、いい加減取り掛かりたいです。
人類の大半と同様、私も根が農耕民なんだろうなぁ。(最近この地の遊牧民と農耕民の生き方を比べながら、人生と文明を見直しているのです。。)
9.05.2010
マラリアで食欲張りに。
疲れの溜まっていた先日、マラリアを発症しました。
ごく初期の発見でしたので、1日高熱とDiarrheaで苦しんだ後はさっぱりと治りました。
先進国で発症してしまう偏頭痛の方が、私としてはよっぽど苦しい気がします。
さてしかし、アフリカ米でおかゆなんか作っていた病気の後は舌が変わってしまい、毎日ばくばく食べていたあの、油とチリと肉とスパイスと化学調味料ががっつんがっつんの、大変力強いNigeria飯が食べられなくなってしまいました。
困ったことです。
しかたないので近所の知り合いの家に押しかけ、地元食材でも作れる私的ごはんを作らせてもらっていますが、いつまで続くのだろう、私の舌のStrikeは。。。(食材と調理器具の関係上、インド的なご飯にどうしても近くなるのだが、Nigeria飯よりは馴染み深いわけです。)
そして日本食の再現は大変難しい環境下で、日本食の夢を見てしまう今日この頃です。
夏気候の当地にはやはり、あっさりとした和食が合うでしょう・・
ざるそば
冷奴
水ようかん
ほうれん草のおひたし
氷にのっかったおさしみ盛り
こんな、見て食べるだけで涼を誘う食事、というような芸術の域にある日常食・・暑い国の中で日本ぐらいじゃないでしょうかね、開発と普及に成功したのは。食立国日本。経済的地位は下がっても食ツーリズムで世界に名を馳せてほしいものだ。
あとは、さんしょとゆず皮の載った鯛のお吸い物、はまぐりのお吸い物 などのような、黒の輪島塗以外は許せない繊細なスープ、なんとかこちらの食材とMade in Chinaのプラスチックの器で実現できないものでしょうか。
いや無理だ。鯛的な味の美味しい魚はNiger川から運ばれてくるんですけど、やはりチリで殺菌しないと怖いところです。
(日本の和食の調理方法は素材の信頼性の上に成り立っている。)
あぁナイジェリア飯、対極すぎます。
果物ひとつとっても、 枇杷 桃 梨 さくらんぼ のような、繊細で完璧なお味の日本の果実と対比して
パイナップル、バナナ、すいか、オレンジ、マンゴー(雨季はない・・)がメインです。
まぁアメリカの果物も、たいがいひどかったが・・
セントラルアメリカは米と肉主体だけど、チリが少なくて豆多くて、素材のだしを生かすタイプの味付けで、日本に近かったんだけどなぁ。世界10代美味しいものランキング(私ランキング)のSevicheなんか日本の刺身と文化的に近いしなぁ・・
しかし、米があるだけナイジェリアは、東アフリカより幸せと言えましょうね。
ごく初期の発見でしたので、1日高熱とDiarrheaで苦しんだ後はさっぱりと治りました。
先進国で発症してしまう偏頭痛の方が、私としてはよっぽど苦しい気がします。
さてしかし、アフリカ米でおかゆなんか作っていた病気の後は舌が変わってしまい、毎日ばくばく食べていたあの、油とチリと肉とスパイスと化学調味料ががっつんがっつんの、大変力強いNigeria飯が食べられなくなってしまいました。
困ったことです。
しかたないので近所の知り合いの家に押しかけ、地元食材でも作れる私的ごはんを作らせてもらっていますが、いつまで続くのだろう、私の舌のStrikeは。。。(食材と調理器具の関係上、インド的なご飯にどうしても近くなるのだが、Nigeria飯よりは馴染み深いわけです。)
そして日本食の再現は大変難しい環境下で、日本食の夢を見てしまう今日この頃です。
夏気候の当地にはやはり、あっさりとした和食が合うでしょう・・
ざるそば
冷奴
水ようかん
ほうれん草のおひたし
氷にのっかったおさしみ盛り
こんな、見て食べるだけで涼を誘う食事、というような芸術の域にある日常食・・暑い国の中で日本ぐらいじゃないでしょうかね、開発と普及に成功したのは。食立国日本。経済的地位は下がっても食ツーリズムで世界に名を馳せてほしいものだ。
あとは、さんしょとゆず皮の載った鯛のお吸い物、はまぐりのお吸い物 などのような、黒の輪島塗以外は許せない繊細なスープ、なんとかこちらの食材とMade in Chinaのプラスチックの器で実現できないものでしょうか。
いや無理だ。鯛的な味の美味しい魚はNiger川から運ばれてくるんですけど、やはりチリで殺菌しないと怖いところです。
(日本の和食の調理方法は素材の信頼性の上に成り立っている。)
あぁナイジェリア飯、対極すぎます。
果物ひとつとっても、 枇杷 桃 梨 さくらんぼ のような、繊細で完璧なお味の日本の果実と対比して
パイナップル、バナナ、すいか、オレンジ、マンゴー(雨季はない・・)がメインです。
まぁアメリカの果物も、たいがいひどかったが・・
セントラルアメリカは米と肉主体だけど、チリが少なくて豆多くて、素材のだしを生かすタイプの味付けで、日本に近かったんだけどなぁ。世界10代美味しいものランキング(私ランキング)のSevicheなんか日本の刺身と文化的に近いしなぁ・・
しかし、米があるだけナイジェリアは、東アフリカより幸せと言えましょうね。
8.28.2010
こどものこと。
こちらのこどもたちをみていて思うこと、多々あります。


前述の通り多産の農村社会、大量?のこどもを村々で見受け、接することになります。
1.子どもにも社会がある。子どもには子どもの世界がある。
少子化社会の日本に米国。子どもは1人や2人単位で家族に大事にされながら育てられがち。
しかしこちらの子どもたち、大人の注目なしでもそれなりにちゃんと子ども社会が成り立っています。
しかしこちらの子どもたち、大人の注目なしでもそれなりにちゃんと子ども社会が成り立っています。
大人は大事なポイントに限り、(危ない時、暴力などがあるとき)折に触れて、誰の子彼の子構わず、子どもを厳しく叱ります。
しかし大人が子どもを遊びで構ったりすることは、乳幼児以外殆どみられません。
子どもも、大人の関心をいやに引こうとすることもありません。
子ども同士で構いあっているから。
(これは大人が教えていることですが)年長が年下の面倒を始終きっちりみているので、大人の手放しで子どもは育っています。

とっくみあいっこ。
2.子ども、はたらく。
これについては色んな意見がありそうですが、私はこちらの子どもたちの健気な働きっぷりに、感心させられています。
学校はちゃんと行っているのですが。
6歳ぐらいで農繁期には子ども用のちっちゃな鍬をかついで、大人と一緒に畝作りからやります。
3歳ぐらいでもう赤ちゃんの面倒も見れるし、大人の言う事をよく聞いて動きます。
私たちのようなお客さんが外から来たら、ベンチを持ってきてくれたり水を持ってきてくれたり・・
立派に社会の一員なのであります。
子どもは労働から完全に自由であるべきだという意見が割と正当と見られているように思います。
もちろん教育の機会を与えず子どもを酷使するような環境、危険な労働環境などは、子どもの将来を奪う事になるでしょう。
でも、子どもが小さい頃から大人と区別された王子様お姫様扱いをされずに一人前の人間として扱われるという事自体は決して悪いことではないと思います。
区別されないことによって、子どもは、生活力や社会力、日本語で言うところの”生きる力”というやつを早く身に着けていっていると、私は思っています。
こうやって育っていくので、自然と20歳ぐらいで一家の長にもなりうるんだろうなぁ・・このような社会では10歳以上早く、人が大人になるように見えます。

カメラを向けると子どもの反応はさまざま。
彼は中々クリエイティブで、いけるポーズを色々と付けて来ました。
8.15.2010
そろそろポレポレから脱出
先週まで、激しい発疹に見舞われて何も手付かずの日々が続きました。
ようやくそれも引き始め、1ヶ月を経過したこの田舎町での生活を振り返り、
そろそろポレポレペースから脱出しようと試みています。というのは、このまま暑さと
(8月になって暑くなってきました)のんびりペースにやられて、脳を一切使わない日々が数ヶ月続くと、
先進国で復帰不能になると、確信したからです。
トライアル1 通勤勉強
世のサラリーマンの皆様は、単調な通勤生活に彩りをつけるべく、
到着駅のひと駅前で歩いてみたり、電車で語学学習をしたりといった事をなさいますね。
村までルート変えようのない畑の一本道を片道40分以上はバイク通勤(アシスタントが運転)している私は、
雲の形とか草や木や作物の種類の観察でポレポレとすごして来ましたが、ネタも尽き、居眠りで転がり落ちるのが
心配な毎日です。
むしろこの時間を生産的に活用すべきではないかと、日本人的に思い立ちました。
そこで、アフリカにいながら強引に、スペイン語学習(脳内シナプスのぶつ切れ状態を改善する目的)。
エンジンがうるさすぎて音声は聞けないので、単語帳をアシスタントの後ろで読もうという魂胆です。
明日から実験開始。
トライアル2 TVで勉強
なんとメキシコのSoap dramaが流行っているこちら。音声でも勉強できるじゃないか!
と思ったら私の部屋からはチャンネル入らなかった。。ムスリムチャンネルはばっちり(オーナーがムスリム)なので、
コーランでも勉強するかぁ?とりあえず今週から始まったラマダンには参加してみることにしました(いつまで続くか・・ちなみn改宗したいからじゃなくて、村でお昼ご飯食べていたら、村人みんなの飢えた目が怖いからです。)
話は変わりますが、ちょっと暗い女性の状況について先日書きましたが、ちょっと偏見入っていたかも。
女性は女性でそれなりにやっていっているようです。貯金も自分で耕した畑の作物を売って、作っているようです。
といっても用途は服とかなんだけど。
子供何人ほしいか、ある人に聞いたら、産めるだけ産みたい とのことでした。。
8.08.2010
ここでの私とは・・
女性の話の続きですが、
例外パターンとして、町に30年住んで政府で働き、引退して村に戻ったという学歴のあるおじさんがいました。
これが私の奥さんだよ、これが私の母だよ、と嬉しそうに身近な女性の紹介をしてくれたのは、彼が唯一、です。
さて最近、大枚はたいて、ここくんだりまで来ている自分に、ちょっと幻滅ぎみです。
この人たちといいましても、村人でも金持ち地主もいれば、明日の飯にも困る貧乏家庭もあります。
新しい技術導入にやる気のある人も、現状維持で結構の人もいます。
しかし、やはり総じて言うと、貧乏です。
子供を高校や大学に送る資金的余裕はない家庭がほとんどでしょう。
インタビューするんなら肥料くれ、と言われます。
援助漬けと呼べばそうかもしれないし、彼らが、中から変えていくリーダーシップに不足しているのも、確かです。
しかし明日の飯に困ってる人を前に、USAくんだりから来て学術インタビュゥのみをしている、私という個人のあり方の方も全く問われるべきです。
例外パターンとして、町に30年住んで政府で働き、引退して村に戻ったという学歴のあるおじさんがいました。
これが私の奥さんだよ、これが私の母だよ、と嬉しそうに身近な女性の紹介をしてくれたのは、彼が唯一、です。
さて最近、大枚はたいて、ここくんだりまで来ている自分に、ちょっと幻滅ぎみです。
この人たちといいましても、村人でも金持ち地主もいれば、明日の飯にも困る貧乏家庭もあります。
新しい技術導入にやる気のある人も、現状維持で結構の人もいます。
しかし、やはり総じて言うと、貧乏です。
子供を高校や大学に送る資金的余裕はない家庭がほとんどでしょう。
インタビューするんなら肥料くれ、と言われます。
援助漬けと呼べばそうかもしれないし、彼らが、中から変えていくリーダーシップに不足しているのも、確かです。
しかし明日の飯に困ってる人を前に、USAくんだりから来て学術インタビュゥのみをしている、私という個人のあり方の方も全く問われるべきです。
女性のこと
村で調査をするようになってから、女性の地位というものをよく考える。
私のインタビュー対象は世帯主、ここでは100%男性、である。
そして私の訪れる村では女性と男性の生活圏は完全に離れている。
私がインタビュー場所としている広場で、休憩時間にたむろしているのは男性だけで、女性はなんやかやと家の方で家事をしている。
男性が食事をする場にも、女性は来ない。(というより恐らく、文化的に、来てはならない。)
まず確かに、村の集会に女性が参加して意見を言う機会はない、と見られる。
私自身男性の場所にしか行かないので、女性の生活に目を向ける機会が、あまりなかった。(私は女性にして男の服(シャツ&パンツ&田んぼを歩くための長靴)を着、男性の場所にしかいない、変な人なんである。)
が先日、モスクの壁に 女性厳禁 と書いてあったのと、色んなことわざなんかが彫ってあったりある家々の壁に、完璧女性蔑視の文言を見たときに、気になり始めた、女性の地位。
最近気がついた事だが、村で女性がよく、亡くなっている。
統計学的に全然正しくないサンプリングだが、3週間でもう3人もなくなっている(周りの村むらで)。
インタビュー時にも、一人目の奥さんなくなったから、二人目もらいました、という話が時々出る。
ちなみに男性がこの辺でなくなった話はまだ聞いていない。
この地域ではやはり、女性の平均寿命の方が男性より短いのであろうか。
先日なくなった方の死因は自然死(夜寝たまま、朝起きなかった。)、50歳ほどの方との事。
今まで回った村で、太った女性を見たのはたったの一度だけ(彼女はハッピーに見えた。愛されているのだろうか)。女性は大体、すごく、細くて、なんだか儚い顔をしている。底抜けに明るいアフリカンマムみたいな人には、なかなか会う機会はない。
あ、もちろん村では男性も大体、引き締まった体か、痩せてはいるが。(太っているのは農業をしていない人。)
そしてお腹の大きい女性が大変多い。23歳の男性で子供5人という人がいた。71歳で今度赤ちゃんが生まれるという老人がいた。確か2人目の奥さんで、20人目のこどもだったか。女性は常に孕み続けているのである。労働力として生みおとされた子供たちが、教育を受ける機会があった場合、その後多数は村を去るだろうにも関わらず。
バースコントロールなる言葉は、この社会では、存在していない。多産では、身体的な負担も、やはり多いのではないだろうか。
原始的な農業の村では、男性が力仕事、女性が家事労働となるのは、ごくごく自然な事と見受けられる。
が、やっぱり個人的には、女性が男性の下に位置づけられている事と、健康上のリスクを取りながら出産マシーン化している事は、納得、いかない、のである。。。
私のインタビュー対象は世帯主、ここでは100%男性、である。
そして私の訪れる村では女性と男性の生活圏は完全に離れている。
私がインタビュー場所としている広場で、休憩時間にたむろしているのは男性だけで、女性はなんやかやと家の方で家事をしている。
男性が食事をする場にも、女性は来ない。(というより恐らく、文化的に、来てはならない。)
まず確かに、村の集会に女性が参加して意見を言う機会はない、と見られる。
私自身男性の場所にしか行かないので、女性の生活に目を向ける機会が、あまりなかった。(私は女性にして男の服(シャツ&パンツ&田んぼを歩くための長靴)を着、男性の場所にしかいない、変な人なんである。)
が先日、モスクの壁に 女性厳禁 と書いてあったのと、色んなことわざなんかが彫ってあったりある家々の壁に、完璧女性蔑視の文言を見たときに、気になり始めた、女性の地位。
最近気がついた事だが、村で女性がよく、亡くなっている。
統計学的に全然正しくないサンプリングだが、3週間でもう3人もなくなっている(周りの村むらで)。
インタビュー時にも、一人目の奥さんなくなったから、二人目もらいました、という話が時々出る。
ちなみに男性がこの辺でなくなった話はまだ聞いていない。
この地域ではやはり、女性の平均寿命の方が男性より短いのであろうか。
先日なくなった方の死因は自然死(夜寝たまま、朝起きなかった。)、50歳ほどの方との事。
今まで回った村で、太った女性を見たのはたったの一度だけ(彼女はハッピーに見えた。愛されているのだろうか)。女性は大体、すごく、細くて、なんだか儚い顔をしている。底抜けに明るいアフリカンマムみたいな人には、なかなか会う機会はない。
あ、もちろん村では男性も大体、引き締まった体か、痩せてはいるが。(太っているのは農業をしていない人。)
そしてお腹の大きい女性が大変多い。23歳の男性で子供5人という人がいた。71歳で今度赤ちゃんが生まれるという老人がいた。確か2人目の奥さんで、20人目のこどもだったか。女性は常に孕み続けているのである。労働力として生みおとされた子供たちが、教育を受ける機会があった場合、その後多数は村を去るだろうにも関わらず。
バースコントロールなる言葉は、この社会では、存在していない。多産では、身体的な負担も、やはり多いのではないだろうか。
原始的な農業の村では、男性が力仕事、女性が家事労働となるのは、ごくごく自然な事と見受けられる。
が、やっぱり個人的には、女性が男性の下に位置づけられている事と、健康上のリスクを取りながら出産マシーン化している事は、納得、いかない、のである。。。
7.26.2010
Tasty Nigeria
Nigerian food is not so bad.


With a life in a hotel (hostel in accurate expression) in a location far from the town center, I tend to rely on street food venders for sustaining my energy and nutrients. Chili called Pepe is in almost every food, spicing up and giving me power to survive hard life here. I feel this chili based food diet may have been developed here with poor sanitation condition. I feel this chili is killing around germs and bacterias before they reach to my stomach... the flavor is a bit closed to Kimuchi when it is used for soup or meat stews. White bread is also nice here, definitely better than factory made cheap bread in USA. It contains a bit of sugar and oil, tightly made and has a good volume.
I, almost a vegitarian when I was in USA, now eat meat everyday. And my body changed amazingly. In USA my stomach really couldn't take animal protein or too spicy food. Here it is as if my body knows the reality that anything coming down to the stomach should be digested well for the survival. My stomach is very well conditioned and has no complaint with this sudden change of my food diet. I feel so much gratitude to my body which supports my life.

To show some of my dinner menu here..
Maize, tomato, grilled meat and banana. Too wild and simple? I am doing my best to balance nutrient!
BTW this maize's texture is amazingly wild, I mean so hard with few moisture in the seeds... it is almost like peanuts! But this hard and chewy creature is seriously addictive. That is (kameba kamuhodo ajiga deru.) Now I feel I am eating something more substantial than soft and sweet corn in USA or Japan and want to eat it almost everyday...

Pepe soup with meat, pepe soup with fresh fish (no alternative than Chili taste..) wrapped stuff is called Amara (lightly fermented cassava cake). This amara tastes very much whole grain and I feel it may be more nutritious than white rice. (No brown rice is available here.. ) The green colored sticky Okura sauce mitigates hot taste of Pepe.
Also in my village research, I am encountering fresh and nice (and safe) food supply time to time. Fulani, nomad comes to sell their fresh cheese which is very good. Villagers today gave me a sort of Kinako dango (sweet cake made by bean powder and some other grain powder) again tasted with Pepe.. this one is seriously addictive (sweet spiced with chili is always nice). Small fun can decorate a simple life lot.
7.24.2010
特別であること
通勤で使っている(調査アシスタントのS氏が運転)バイクの不調で、修理屋に立ち寄った。
修理屋といっても雨よけにヤシの葉がのっけてある、看板も壁もない一角で若者が営む、その日暮らしの商売。
彼らは直す事を知っている。バイクの部品なんか、ちょいちょいと分解してしまう。体で覚えたことを商売にして、
時間をかけて直してくれたお代は60ナイラ(40セント)。ぼることもしない。カメラを向けるのもはばかられるが、お願いして撮らせてもらう。

その横で何にもせずに横たわっている別の若者が、ピーナツ俺に買ってよこせと言った。あげてもよかったけど、何でおまえに?と思い無視。ふくれていた。このように人によって、無心する人としない人がきっぱりとわかれる。
今日宿に戻ったら、昨日からとなりの部屋に女性を買って呼んで騒いでいる、政府勤めだというNigeria人が表でごろごろしていた。Nigeriaの役人は民間人よりだいぶ信用できない。俺にはヘルメットくれないのと言った。本気でもないがひとまず無心するのがここの一部のかたがたの習慣らしい。
ついでに君や僕みたいな特別な人間はどーたら、と話しかけてきた。ちょっと、イラッときた。
(Nigerianのスーパースローペースには、まったくいらつかない私であるが。)
この国で特別なのは40セントでこつこつまじめに暮らしている修理屋の彼みたいな市井の人じゃボケ。と言いたくなった。
アフリカは貧しいと人は言う。
豊かな国の我々は生活にさして関係のない享楽に金をつぎ込んで、それを豊かさと呼んだりしている。
すれ違っても挨拶しない、隣の住人も知らない。
水が出るだけ、電気が来るだけ、雨が降って食べ物が実るだけ、寒をしのぐ衣服と建物があるだけ、
それだけでありがたいと感じられる事はとても大事だと思う。教育と医療、交通や通信などのサービスが手に入る事が豊かだと思える事も。
という事自体を思い出すことのできる機会を持つことは、大事だ。
村では子どもたちが農作業を普通に手伝って、姉が妹の子守をする。兄が弟の面倒をみる。
すれ違うと時間をかけて丁寧に挨拶。ようこそお越しくださいました、旅はどうでしたか、お疲れ様です、どうもお疲れ様です。
知らない私に食べ物を差し出してくれる。あぁどちらの心が豊かなのでしょうか。
修理屋といっても雨よけにヤシの葉がのっけてある、看板も壁もない一角で若者が営む、その日暮らしの商売。
彼らは直す事を知っている。バイクの部品なんか、ちょいちょいと分解してしまう。体で覚えたことを商売にして、
時間をかけて直してくれたお代は60ナイラ(40セント)。ぼることもしない。カメラを向けるのもはばかられるが、お願いして撮らせてもらう。

その横で何にもせずに横たわっている別の若者が、ピーナツ俺に買ってよこせと言った。あげてもよかったけど、何でおまえに?と思い無視。ふくれていた。このように人によって、無心する人としない人がきっぱりとわかれる。
今日宿に戻ったら、昨日からとなりの部屋に女性を買って呼んで騒いでいる、政府勤めだというNigeria人が表でごろごろしていた。Nigeriaの役人は民間人よりだいぶ信用できない。俺にはヘルメットくれないのと言った。本気でもないがひとまず無心するのがここの一部のかたがたの習慣らしい。
ついでに君や僕みたいな特別な人間はどーたら、と話しかけてきた。ちょっと、イラッときた。
(Nigerianのスーパースローペースには、まったくいらつかない私であるが。)
この国で特別なのは40セントでこつこつまじめに暮らしている修理屋の彼みたいな市井の人じゃボケ。と言いたくなった。
アフリカは貧しいと人は言う。
豊かな国の我々は生活にさして関係のない享楽に金をつぎ込んで、それを豊かさと呼んだりしている。
すれ違っても挨拶しない、隣の住人も知らない。
水が出るだけ、電気が来るだけ、雨が降って食べ物が実るだけ、寒をしのぐ衣服と建物があるだけ、
それだけでありがたいと感じられる事はとても大事だと思う。教育と医療、交通や通信などのサービスが手に入る事が豊かだと思える事も。
という事自体を思い出すことのできる機会を持つことは、大事だ。
村では子どもたちが農作業を普通に手伝って、姉が妹の子守をする。兄が弟の面倒をみる。
すれ違うと時間をかけて丁寧に挨拶。ようこそお越しくださいました、旅はどうでしたか、お疲れ様です、どうもお疲れ様です。
知らない私に食べ物を差し出してくれる。あぁどちらの心が豊かなのでしょうか。
7.21.2010
Where cultures meet
Nupeland should have had Arabic influence before.
This house has an Arabic caligraphy on the wall.

They say they can speak Arabic because it is the language of Colan
but I think there should be a time when Arabic tribe came down to transcend the language.
Where tribal society remains, culture is so locally unique.
7.20.2010
Farmer's life and Nomad's life
Village visit started from yesterday.
Life in villages are in another world from one in the town of Bida, which they say carries almost 1 million population! Town people enjoy benefits of modern life (although sewage system doesn't exist electricity is commonly available.)
In villages, time stops. Few machinary is used for cultivation and processing. Villagers cultivate fields with hoes and coas.
Cool breeze pass through this beautiful landscape of highland. (about 1000m in altitude) Sky is high and trees are fresh green. Children cheer looking me foreigners "Nasara".

Today I saw hipsters of Nigeria, Fulani - a Nomad tribe. Their crazy fashion sense is almost a fashion model. Shiny pink pants, pierce and neckless, leopard shirts- worn by boys. Their woodstick for managing cattles make them further look stood out among others. They don't speak so loud and wear some mysterious atmosphere. Nomads... no wonder many researchers are absorbed to study about them. I am more already being fascinated with knowing secret of their life more than farmers!
Life in villages are in another world from one in the town of Bida, which they say carries almost 1 million population! Town people enjoy benefits of modern life (although sewage system doesn't exist electricity is commonly available.)
In villages, time stops. Few machinary is used for cultivation and processing. Villagers cultivate fields with hoes and coas.
Cool breeze pass through this beautiful landscape of highland. (about 1000m in altitude) Sky is high and trees are fresh green. Children cheer looking me foreigners "Nasara".

Today I saw hipsters of Nigeria, Fulani - a Nomad tribe. Their crazy fashion sense is almost a fashion model. Shiny pink pants, pierce and neckless, leopard shirts- worn by boys. Their woodstick for managing cattles make them further look stood out among others. They don't speak so loud and wear some mysterious atmosphere. Nomads... no wonder many researchers are absorbed to study about them. I am more already being fascinated with knowing secret of their life more than farmers!
7.16.2010
Letter from Nigeria 2
友人Mさんより、日本語で書けとのクレームを受けましたため、読者層を踏まえ今後ちゃんぽんにさせていただきます。
昨日の朝に南部のIbadanを出発し、Ife、Abujaと移動し、総計16時間ほど車に揺られお尻がすっかり痛くなったあげく、今日の夜にとうとうBidaに到着しました。
道中の写真などは、追ってアップします。でこぼこ道も、一泊した首都のAbujaでの12時間もなかなか興味深いものでした。
Nigeriaの州の中でも割と大き目のNiger州(Niger川が真ん中を流れる州です)の二番目に大きいらしいこの町Bida。
人口も1万ぐらいは軽くいそうな雰囲気です。
Ibadannより、背の高いパームツリーなどの茂る熱帯林を通過し、目に涼しい高地の山地を通過し、Abujaあたりから風景はSavannaに変わっています。
Savannaとはいえ所謂黄色い大地の広がるイメージとは異なり、ここNiger州は米の一大産地らしく緑が豊富。
(雨季のためもあるのでしょうが)、平たい大地に木々や畑・田の緑が青々と広がる、それは美しい農村地帯です。
なにか、日本の田舎で見たなつかしい風景とかぶります。
大都市を通過する中で、ごみの山また山、人の海を見てきたため、ここNiger州の心洗われる風景にはほっとさせられます。
私の滞在地は特に政治宗教関連の衝突や犯罪もない町なので、リラックスして滞在することができそうです。
今まで接したところでは、Nigeria人自体の印象も結構よいです。(物事は前に進みづらいが、そう悪気を感じないというやつ)治安についても新聞やネットに載る情報と現実の乖離を感じると共に、自分自身での安全情報収集が大事だなと思う次第です。
基本海外ではホームステイで現地の人の生活に入り込むのが基本の私としては、受け入れ先の国際機関の安全規定によりホテル(というかぼろいホステル)住まいが辛いところです。。。
次回インターネットカフェに来た際に、写真などはUPしようと思います。
昨日の朝に南部のIbadanを出発し、Ife、Abujaと移動し、総計16時間ほど車に揺られお尻がすっかり痛くなったあげく、今日の夜にとうとうBidaに到着しました。
道中の写真などは、追ってアップします。でこぼこ道も、一泊した首都のAbujaでの12時間もなかなか興味深いものでした。
Nigeriaの州の中でも割と大き目のNiger州(Niger川が真ん中を流れる州です)の二番目に大きいらしいこの町Bida。
人口も1万ぐらいは軽くいそうな雰囲気です。
Ibadannより、背の高いパームツリーなどの茂る熱帯林を通過し、目に涼しい高地の山地を通過し、Abujaあたりから風景はSavannaに変わっています。
Savannaとはいえ所謂黄色い大地の広がるイメージとは異なり、ここNiger州は米の一大産地らしく緑が豊富。
(雨季のためもあるのでしょうが)、平たい大地に木々や畑・田の緑が青々と広がる、それは美しい農村地帯です。
なにか、日本の田舎で見たなつかしい風景とかぶります。
大都市を通過する中で、ごみの山また山、人の海を見てきたため、ここNiger州の心洗われる風景にはほっとさせられます。
私の滞在地は特に政治宗教関連の衝突や犯罪もない町なので、リラックスして滞在することができそうです。
今まで接したところでは、Nigeria人自体の印象も結構よいです。(物事は前に進みづらいが、そう悪気を感じないというやつ)治安についても新聞やネットに載る情報と現実の乖離を感じると共に、自分自身での安全情報収集が大事だなと思う次第です。
基本海外ではホームステイで現地の人の生活に入り込むのが基本の私としては、受け入れ先の国際機関の安全規定によりホテル(というかぼろいホステル)住まいが辛いところです。。。
次回インターネットカフェに来た際に、写真などはUPしようと思います。
7.12.2010
Letter from Nigeria 1
More than 1 week passed since I arrived at Nigeria.
In contrary to the image of life I was depicting within my mind before the departure, life here is so peaceful. A large swimming pool with clear water is in front of me. I can see tennis court, well maintained lawn and tropical trees and flowers from my sheet.. aw paradise Nigeria.
Well. in fact I am evacuating temporary in a facility of an international research institute in Ibadan, which was established by government assisance of America (that is, of course a swimming pool and lawns equipped. In fact about 1000ha of this huge research station maintains the most beautiful landscape in Nigeria in American way) in order to cure my bad cold I got BEFORE the plane landed the Lagos airport.. shame. I couldn't communicate with humans for a week with my voice lost. According to a family of a researcher who kindly accommodate me here in their house tells me, though, most of students coming in Nigeria are sick when they arrive here since so many physical and mental stress were BEFORE they get in...(because of the tough preparation)
So I am so much looking forward to getting out of this sanctuary to face so called REAL NIGERIA, the world in the other side of huge walls iron wires separating it from this unrealistic place.

This photo I took in the town of Ibadan, the second biggest cities in Nigeria next to Lagos. And as you may or may not know, Nigeria has the biggest population in African continent as far as I recognize (0.15 billion) People are so fashionable and women especially look so beautiful here.
As I am used to live in unclean towns with unstable electricity or other modern facilities, Nigeria is for me quite a "developed" place in terms of economy. Everyone use mobile and commerce is active. (that is, they have a cash income) The town I will stay in Niger state has a hospital hotels and internet cafe.
Also I found myself being quite comfortable with being among colors (though it seems I am stood out among others as an Asian). Almost since childhood I always have felt that the world and lifestyle built upon the value system of "westerners" or "wanna-be-western society and economy" makes me feel uncomfortable. Why? I guess because it kind of letting us chase only the surface of western society without thinking the meaning of culture, community and even individual life we could appreciate in a fairer way, if without such strong influence.
Although western civilization is deeply built within my life and myself as I am typing this keyboard to express my opinion to my friends and families, I also regain a part of myself by putting myself in an another side of the world. This is the comfort I felt in many places, in India, Panama, Indonesia and several other places. I feel comfortable of knowing there are lives and values different from the mainstream, that we don't well understand unless we are exposed to it.
Well I am a person who cannot be settled within a mold made by somebody or, by a system in a society I belong to. So I should think the same thing toward Nigerian society if I am raised here.
By seeing other's life with a totally different shape but with a common components as mine, by seeing their life with a sharp sensation since unnecessary surface decoration is not attached to it, I retreive somewhat a sense of life. This is one of the reason why I always like to travel and live in so-called "developing countries".
In contrary to the image of life I was depicting within my mind before the departure, life here is so peaceful. A large swimming pool with clear water is in front of me. I can see tennis court, well maintained lawn and tropical trees and flowers from my sheet.. aw paradise Nigeria.
Well. in fact I am evacuating temporary in a facility of an international research institute in Ibadan, which was established by government assisance of America (that is, of course a swimming pool and lawns equipped. In fact about 1000ha of this huge research station maintains the most beautiful landscape in Nigeria in American way) in order to cure my bad cold I got BEFORE the plane landed the Lagos airport.. shame. I couldn't communicate with humans for a week with my voice lost. According to a family of a researcher who kindly accommodate me here in their house tells me, though, most of students coming in Nigeria are sick when they arrive here since so many physical and mental stress were BEFORE they get in...(because of the tough preparation)
So I am so much looking forward to getting out of this sanctuary to face so called REAL NIGERIA, the world in the other side of huge walls iron wires separating it from this unrealistic place.

This photo I took in the town of Ibadan, the second biggest cities in Nigeria next to Lagos. And as you may or may not know, Nigeria has the biggest population in African continent as far as I recognize (0.15 billion) People are so fashionable and women especially look so beautiful here.
As I am used to live in unclean towns with unstable electricity or other modern facilities, Nigeria is for me quite a "developed" place in terms of economy. Everyone use mobile and commerce is active. (that is, they have a cash income) The town I will stay in Niger state has a hospital hotels and internet cafe.
Also I found myself being quite comfortable with being among colors (though it seems I am stood out among others as an Asian). Almost since childhood I always have felt that the world and lifestyle built upon the value system of "westerners" or "wanna-be-western society and economy" makes me feel uncomfortable. Why? I guess because it kind of letting us chase only the surface of western society without thinking the meaning of culture, community and even individual life we could appreciate in a fairer way, if without such strong influence.
Although western civilization is deeply built within my life and myself as I am typing this keyboard to express my opinion to my friends and families, I also regain a part of myself by putting myself in an another side of the world. This is the comfort I felt in many places, in India, Panama, Indonesia and several other places. I feel comfortable of knowing there are lives and values different from the mainstream, that we don't well understand unless we are exposed to it.
Well I am a person who cannot be settled within a mold made by somebody or, by a system in a society I belong to. So I should think the same thing toward Nigerian society if I am raised here.
By seeing other's life with a totally different shape but with a common components as mine, by seeing their life with a sharp sensation since unnecessary surface decoration is not attached to it, I retreive somewhat a sense of life. This is one of the reason why I always like to travel and live in so-called "developing countries".
6.25.2010
準備づかれのNigeria。
さいきん、何だかぐちが多い(気がする)私のBlogです。
Durhamの猛暑が関係していることは、間違いありません・・はーひー。
5月末頃にNigeria行きが本格的に決まったので、1ヶ月間で猛烈な準備を進めてまいりました、今日この頃。
たった5ヶ月のステイだというのに、最近、すっかり準備疲れしてしまいました。
アメリカに2年間住むためにした準備も、Nigeria行きに比べればへのかっぱのようなものでした・・(といってもそりゃー南極探検隊みたいな準備は要らないわけですが。)
なんといっても、健康面・生活面・安全面全てにおいて、余りにもこのぬくぬくした先進国と対極にあるため、そして、そういった環境下でほぼ単独での生活のため、誰にも頼ることなく、極力医者に一度も行かず、5ヶ月を乗り切れるだけの準備をするため・・
考えうる状況のオプションを考え出すともう切りがなく、どこかで見切りをさっぱりと付けないといけません。(例えばPCを最後まで無事に使うための盗難保険および盗難された際の代替PCおよび電圧がふれてAdaptorが飛んだときの替えのAdaptor及び電圧振り切れ防止装置及び停電時のChargerEtcetc)
これまでの旅行や海外への滞在は、いつも現地に詳しい人との同居が基本でした。薬なども現地調達がほとんどでした。なので、いざというときのよりどころがあったため、特にきばった準備もしてきませんでした。ひとり完結型の生活の手配で、どこまでを境界線とするかなど、あまりきちんと考えたことがなかったように思います。
なんだか、実際に住むよりも準備の方にエネルギーを使った感がなきにしもあらず・・
理想的には、現地人とまったくおんなじ生活をする事・・そうすればこのようなストレスはゼロになるのですが、もちろんそうはいかないのが現実。
もー、せっかくなら、腰紐ひとつで生きていきたいっす。
そんな格好したら、私のいく村では即逮捕ですが・・・・ (肌露出厳禁)
Durhamの猛暑が関係していることは、間違いありません・・はーひー。
5月末頃にNigeria行きが本格的に決まったので、1ヶ月間で猛烈な準備を進めてまいりました、今日この頃。
たった5ヶ月のステイだというのに、最近、すっかり準備疲れしてしまいました。
アメリカに2年間住むためにした準備も、Nigeria行きに比べればへのかっぱのようなものでした・・(といってもそりゃー南極探検隊みたいな準備は要らないわけですが。)
なんといっても、健康面・生活面・安全面全てにおいて、余りにもこのぬくぬくした先進国と対極にあるため、そして、そういった環境下でほぼ単独での生活のため、誰にも頼ることなく、極力医者に一度も行かず、5ヶ月を乗り切れるだけの準備をするため・・
考えうる状況のオプションを考え出すともう切りがなく、どこかで見切りをさっぱりと付けないといけません。(例えばPCを最後まで無事に使うための盗難保険および盗難された際の代替PCおよび電圧がふれてAdaptorが飛んだときの替えのAdaptor及び電圧振り切れ防止装置及び停電時のChargerEtcetc)
これまでの旅行や海外への滞在は、いつも現地に詳しい人との同居が基本でした。薬なども現地調達がほとんどでした。なので、いざというときのよりどころがあったため、特にきばった準備もしてきませんでした。ひとり完結型の生活の手配で、どこまでを境界線とするかなど、あまりきちんと考えたことがなかったように思います。
なんだか、実際に住むよりも準備の方にエネルギーを使った感がなきにしもあらず・・
理想的には、現地人とまったくおんなじ生活をする事・・そうすればこのようなストレスはゼロになるのですが、もちろんそうはいかないのが現実。
もー、せっかくなら、腰紐ひとつで生きていきたいっす。
そんな格好したら、私のいく村では即逮捕ですが・・・・ (肌露出厳禁)
6.21.2010
Durhamの夏・・
あ、暑い・・・
今日もDurhamは最高気温35度ほどと、今を盛りと夏が花開いてございます。
暑い、蒸し暑い、日差しがつよい。
なぜアメリカ人という人種(そんな人種ない。)はこんな環境で生き延びられるのか。
青々とした芝生がにくたらしいぐらいです(意味不明)。
田んぼを吹き抜ける風も、神社の鎮守の森もないだと、気温なんて上がる一方ですわ。
早くアフリカへ避暑をしなければ・・・しんでしまいそうです(何か勘違いしているでしょうか、わたくし)。
Durhamが暑すぎるのか、私がトシだから悪いのか、もはや判断力が効かないほど夏ばてしています。
エアコンがまともに効かない私のアパートで、先ほど暑さのあまり気絶(あるいは眠気のあまりだろうか)し、気がついたら1時間経ちました。
命の危険を感じ、決死の思いで住居から脱出。徒歩3分のバス停で過酷な太陽の下バスを待つこと5分の間も、命の炎が揺れているのを感じました。バスに乗り込み、エアコン完全完備の大学へと避難しました。(他に行き先がない)
というか、アフリカに行く前のあと1週間でマスター論文を完成させる予定なのです。毎日朝から晩まで、キーが壊れるほどキーボードを叩いている頃のはずです。
なのに暑さのあまり、頭も体も一向に働きません。脱水症状防止の水分摂取を繰り返して、一日が終わってしまうような毎日です。
こんな作業効率では、キリンに乗って村々を訪ねて回る予定のアフリカでの調査の方ががんがん進みそうなぐらいです。
ようやくバスにてキャンパスに到着。目が霞んでいるのか、蜃気楼なのかよく分からない風景が目の前に広がっております。
命綱のアイスコーヒーを手に入れるために、バス停から5分のカフェまで、這い蹲るように決死の歩行を試みました。
前から高校生らしきグループが歩いてきます。
あら?何だかしゃっきりまっすぐ歩いているわ。
笑っているし、いきいきとしゃべっているわ。苦しそうでもないし。
次に向かいから歩いてきた30代インターナショナルと見られる研究者(と見られる人物)。
もう、死にそうな顔で口あけて(ぱくぱく)あるいています。
どうやら、明らかにトシの問題ですね。
やっと着いたカフェは休業。絶対絶命です。
残された選択肢はただひとつ。
McDonald
Environmentalistのポリシーなど、命の前では埃のようなもの・・
まっしぐらに向かいましたよ。
というかここ最近、夏学期でレストラン等が閉まっており、選択肢がないためにほぼ毎日McDonald・・(涙)
ふー
コーシーに入っているアイスに何とか救われ、今こうしてBlogなんてものが書けていますが、
何だか今度はやけに腰が冷えてきました。
さ、寒い・・・
18度、冷蔵庫ぐらいの設定と見られます、この国のエアコンは。
アメリカ人、なぜこんな極寒の室内で生き延びられるのか?
中庸ちゅーものはこの国にないのか?
日本人の28度エコ設定に見習う日はいつやってくるのか?
ああー寒い 寒すぎてキーを叩く指も震えます。
早くこのビルディングから、お日様のさんさんさす屋外へ脱出せねば・・
今日もDurhamは最高気温35度ほどと、今を盛りと夏が花開いてございます。
暑い、蒸し暑い、日差しがつよい。
なぜアメリカ人という人種(そんな人種ない。)はこんな環境で生き延びられるのか。
青々とした芝生がにくたらしいぐらいです(意味不明)。
田んぼを吹き抜ける風も、神社の鎮守の森もないだと、気温なんて上がる一方ですわ。
早くアフリカへ避暑をしなければ・・・しんでしまいそうです(何か勘違いしているでしょうか、わたくし)。
Durhamが暑すぎるのか、私がトシだから悪いのか、もはや判断力が効かないほど夏ばてしています。
エアコンがまともに効かない私のアパートで、先ほど暑さのあまり気絶(あるいは眠気のあまりだろうか)し、気がついたら1時間経ちました。
命の危険を感じ、決死の思いで住居から脱出。徒歩3分のバス停で過酷な太陽の下バスを待つこと5分の間も、命の炎が揺れているのを感じました。バスに乗り込み、エアコン完全完備の大学へと避難しました。(他に行き先がない)
というか、アフリカに行く前のあと1週間でマスター論文を完成させる予定なのです。毎日朝から晩まで、キーが壊れるほどキーボードを叩いている頃のはずです。
なのに暑さのあまり、頭も体も一向に働きません。脱水症状防止の水分摂取を繰り返して、一日が終わってしまうような毎日です。
こんな作業効率では、キリンに乗って村々を訪ねて回る予定のアフリカでの調査の方ががんがん進みそうなぐらいです。
ようやくバスにてキャンパスに到着。目が霞んでいるのか、蜃気楼なのかよく分からない風景が目の前に広がっております。
命綱のアイスコーヒーを手に入れるために、バス停から5分のカフェまで、這い蹲るように決死の歩行を試みました。
前から高校生らしきグループが歩いてきます。
あら?何だかしゃっきりまっすぐ歩いているわ。
笑っているし、いきいきとしゃべっているわ。苦しそうでもないし。
次に向かいから歩いてきた30代インターナショナルと見られる研究者(と見られる人物)。
もう、死にそうな顔で口あけて(ぱくぱく)あるいています。
どうやら、明らかにトシの問題ですね。
やっと着いたカフェは休業。絶対絶命です。
残された選択肢はただひとつ。
McDonald
Environmentalistのポリシーなど、命の前では埃のようなもの・・
まっしぐらに向かいましたよ。
というかここ最近、夏学期でレストラン等が閉まっており、選択肢がないためにほぼ毎日McDonald・・(涙)
ふー
コーシーに入っているアイスに何とか救われ、今こうしてBlogなんてものが書けていますが、
何だか今度はやけに腰が冷えてきました。
さ、寒い・・・
18度、冷蔵庫ぐらいの設定と見られます、この国のエアコンは。
アメリカ人、なぜこんな極寒の室内で生き延びられるのか?
中庸ちゅーものはこの国にないのか?
日本人の28度エコ設定に見習う日はいつやってくるのか?
ああー寒い 寒すぎてキーを叩く指も震えます。
早くこのビルディングから、お日様のさんさんさす屋外へ脱出せねば・・
6.19.2010
AVATARついに鑑賞。
映画AvatarをDVDで観ました。
かなりインパクトの大きい映画だと聞いていたものの、キャラクターの青い顔がちょっと怖くて、そして
いつでも流行りものに手を出すのがほぼ1年遅れの私なので、やっぱり今になって見てしまいました。
期待はしていたものの。
ううううううううぎえーー。
完全にやられてしまいました。鑑賞後、頭がぼーとしたまま即、DVD購入。3D映画館で見なかった事は死ぬまで後悔します。
・興行映画としての質がすばらしく高い。シンプルなストーリーと共感性で観客をとりこに。そしてありえないCGテクノロジー。
・アート性が非の打ち所ない。世界観が完成されきっている。美しい。
・メッセージ性が今の時代に必要とされているものだ(と思う)。
私の周りでもふつーだったと言っている人もいれば、あれは絶対観るべきだと力説する人もいますが、
感受性の強い人には本当にくる映画だと思います。私は上記の3点セットがすばらし過ぎ、あと幼き頃映画Dance with Wolvesで将来の進路が決まってしまった自分の、永遠なる自然ユートピア回帰嗜好(笑)に重ね合わせて、完全にはまってしまいました。
ほかに個人的には特に、観客の思考を、文化に上下関係はないのだ、という点に導いている事に感服しました。
私自身は、人間と自然との関係性という点で、Indigenous peopleの文化をとてもRespectしているので、
この映画が(誇張と美化はもちろんあるにしても)、現在の社会で”進んでいる”民族の傲慢と、彼ら(というか私ら。)がほかの民族を見る際にいまだにある共通認識:野蛮で遅れていて可哀想なやつら でなく、自分達の世界・社会を持った誇りのある民族として、丁寧に世界観を描きだしている事に、大変共感いたしました。あとは天然資源による利害の衝突はあまりにも現在進行形のリアルな問題でもあります。
中国政府が昨年上映を禁止した、という事実には、大変複雑な思いも覚えます。というか、やっぱり?という感じ。
実際のところ、現実の世界では、征服と優劣の押し付けが、手を変え品を変えながら続いており、人類に理想の世界は来ないのだろうなと感じられる毎日です。
という意味ではむしろ、もののけ姫の現実主義は、深い・・・でも、何があっても生きろって、宮崎さん、現実主義過ぎて、胸が痛いです。。私的には、戦え。ですかねぇ。
いろんな思考を喚起してくれたありがたい作品です。DVDはNigeriaでひとりの夜に鑑賞しようっと・・・
かなりインパクトの大きい映画だと聞いていたものの、キャラクターの青い顔がちょっと怖くて、そして
いつでも流行りものに手を出すのがほぼ1年遅れの私なので、やっぱり今になって見てしまいました。
期待はしていたものの。
ううううううううぎえーー。
完全にやられてしまいました。鑑賞後、頭がぼーとしたまま即、DVD購入。3D映画館で見なかった事は死ぬまで後悔します。
・興行映画としての質がすばらしく高い。シンプルなストーリーと共感性で観客をとりこに。そしてありえないCGテクノロジー。
・アート性が非の打ち所ない。世界観が完成されきっている。美しい。
・メッセージ性が今の時代に必要とされているものだ(と思う)。
私の周りでもふつーだったと言っている人もいれば、あれは絶対観るべきだと力説する人もいますが、
感受性の強い人には本当にくる映画だと思います。私は上記の3点セットがすばらし過ぎ、あと幼き頃映画Dance with Wolvesで将来の進路が決まってしまった自分の、永遠なる自然ユートピア回帰嗜好(笑)に重ね合わせて、完全にはまってしまいました。
ほかに個人的には特に、観客の思考を、文化に上下関係はないのだ、という点に導いている事に感服しました。
私自身は、人間と自然との関係性という点で、Indigenous peopleの文化をとてもRespectしているので、
この映画が(誇張と美化はもちろんあるにしても)、現在の社会で”進んでいる”民族の傲慢と、彼ら(というか私ら。)がほかの民族を見る際にいまだにある共通認識:野蛮で遅れていて可哀想なやつら でなく、自分達の世界・社会を持った誇りのある民族として、丁寧に世界観を描きだしている事に、大変共感いたしました。あとは天然資源による利害の衝突はあまりにも現在進行形のリアルな問題でもあります。
中国政府が昨年上映を禁止した、という事実には、大変複雑な思いも覚えます。というか、やっぱり?という感じ。
実際のところ、現実の世界では、征服と優劣の押し付けが、手を変え品を変えながら続いており、人類に理想の世界は来ないのだろうなと感じられる毎日です。
という意味ではむしろ、もののけ姫の現実主義は、深い・・・でも、何があっても生きろって、宮崎さん、現実主義過ぎて、胸が痛いです。。私的には、戦え。ですかねぇ。
いろんな思考を喚起してくれたありがたい作品です。DVDはNigeriaでひとりの夜に鑑賞しようっと・・・
6.13.2010
Nigeria行き、Durhamでの準備
March madness(大学バスケ戦期間)以来、しばらくBlogからご無沙汰していました。。。
7月頭から5ヶ月間、Nigeriaでの農村の社会調査に取り組む事になりました。
Dukeには籍をおいたまま、現地の調査機関との共同研究に携わります。
初めてのアフリカ大陸、初めての論文執筆への挑戦、新しい事に取り組めるわくわく感と緊張感の入り混じる準備期間を過ごしています。
雨季がもうすぐ始まるというものの、Nigeria(特に私の滞在する中部)はそれなりに暑いらしいです。といっても雨季の間は平均気温30度を切る様子なので、猛暑のDurham(現在地)や大阪東京なんかと比べるとましと言えましょう。
Nigeriaへのトレーニング期間と称して、Durhamの部屋でエアコンをあまりつけずに過ごしていましたら、部屋で脱水症状になりかかりました。Gulf streamに乗って熱波がやって来る東海岸の夏は結構過酷です。さらにフロリダやテキサスあたりに行くと、40度・45度だとか聞いています。それに比べるとアフリカに避暑に行くようなもんだと?思わねばなりません。
調査地が内陸のため、残念ながら今年の夏は海なし、になりそうです。海好きの私には泣ける現実です。
アフリカンドラムやらアフリカンダンスやらアフリカ料理などの習得に励み、素直に現地に溶け込もうと思っております。
(向こうの文化では、女性はドラムを叩かないように教えられているそうですが・・私は外人なので関係ありまへん。)
ラテンアメリカ、中東やチベットのあたりなど、世界には足を伸ばしたいところがほかにもたくさん。
一方で、そろそろ一箇所に専念した仕事に就きたいなぁと、思う今日この頃です。
7月頭から5ヶ月間、Nigeriaでの農村の社会調査に取り組む事になりました。
Dukeには籍をおいたまま、現地の調査機関との共同研究に携わります。
初めてのアフリカ大陸、初めての論文執筆への挑戦、新しい事に取り組めるわくわく感と緊張感の入り混じる準備期間を過ごしています。
雨季がもうすぐ始まるというものの、Nigeria(特に私の滞在する中部)はそれなりに暑いらしいです。といっても雨季の間は平均気温30度を切る様子なので、猛暑のDurham(現在地)や大阪東京なんかと比べるとましと言えましょう。
Nigeriaへのトレーニング期間と称して、Durhamの部屋でエアコンをあまりつけずに過ごしていましたら、部屋で脱水症状になりかかりました。Gulf streamに乗って熱波がやって来る東海岸の夏は結構過酷です。さらにフロリダやテキサスあたりに行くと、40度・45度だとか聞いています。それに比べるとアフリカに避暑に行くようなもんだと?思わねばなりません。
調査地が内陸のため、残念ながら今年の夏は海なし、になりそうです。海好きの私には泣ける現実です。
アフリカンドラムやらアフリカンダンスやらアフリカ料理などの習得に励み、素直に現地に溶け込もうと思っております。
(向こうの文化では、女性はドラムを叩かないように教えられているそうですが・・私は外人なので関係ありまへん。)
ラテンアメリカ、中東やチベットのあたりなど、世界には足を伸ばしたいところがほかにもたくさん。
一方で、そろそろ一箇所に専念した仕事に就きたいなぁと、思う今日この頃です。
5.07.2010
The Coveと国際社会における日本
日本では公開されているのでしょうか?
世界中で大話題のドキュメンタリー The Cove。
日本では発禁なのでしょうか、やっぱり。
最近までこの映画を知らなかった私は、友人一同がやたらと口を揃えて”日本人はいるかをぶっ殺して食っているらしいが一体どういうことだ”と迫ってくるのを、ぴんと来ずに一方的に聞いておりました。
ごらんになった事のない方はぜひとも観る機会を作ってください。
いるか・くじらの人?権・種保護自体の問題もさることながら、この問題における日本の国際社会での大いなるずれ具合がよく分かると思います。また日本のメディアがどれだけ操作されているかも注目ポイントです。
おそらくこの問題の裏側にあるだろう日本の裏社会も垣間見えるように思います。
ストーリーとしては、和歌山県太地町の一部の猟師が行なっているいるか大量輸出(世界中の水族館へ)と追い込み漁による大量殺戮>精肉 への過程がまざまざと描かれています。いるかの愛らしい笑顔に親しみを感じる方であれば、相当なショックを受ける現実を目の当たりにさせられます。
日本でこの映画がどう受け止められているかと思い、ネット検索したところ
-日本の文化に口出すな
-牛や豚も殺しているのに高等生物だから殺したらだめとは西洋文化の押し付けだ。
-いるかが養殖や漁業に被害を出すから殺して当然
こういった西洋対東洋、文化尊重、地元尊重の意見が多いようです。
実は文化尊重の意見に関しては、私も日本を出るまでは基本的姿勢として持っていました が。
国際社会に大きく依存する日本がその中で生き残っていく上で、世界のルールは話し合いで決まる事。よって”おれさまの領域に手も口も出すな”のような一方的な議論がもはや通用しない。
という事をようやく外に出て痛感するようになった私としては、
一部の利権を文化と称して保護する事により、国際社会から批判を食らう日本人。総すかんを食らうという事が日本の将来に今後どういう意味を持つのか、一体本当に分かっているのか、たぶん分かっていません。
と言いたい。+日本という国の国際観の欠落に、相当な危機感を覚えてしまいます。
そもそもこれだけ文化が変化している中で、どうしても守るべき貴重な文化と言えるのでしょうかね、いるかの追い込み漁と捕鯨が??あるいはいるかの追い込み漁がないと成り立たない漁業が?
文化という言葉が、国際化した社会の中で水戸黄門の印籠と化しているのではないでしょうか。
もうそもそも論を突き詰めると、日本の英語教育がひどすぎて、海外の議論が国民・知識層に伝わらない。留学等しても同等の英語力を持って帰る人が少なすぎる。こういう事も大きいと思います。
いるかが虐殺されている という事に対し、何ーーーにも感じない人間と何かを感じる人間がいる。
これは越え難いセンシティビティの問題があります。
損得で考えて、日本国にとって百害あって一利しかなし(一部の強大な利権) の日本のいるか漁・調査捕鯨。
政策決定者の長期的視点に立った理性が、先に走って欲しいと祈りつつ、Conservationistとしては自分ができる事をしっかり考えます。
世界中で大話題のドキュメンタリー The Cove。
日本では発禁なのでしょうか、やっぱり。
最近までこの映画を知らなかった私は、友人一同がやたらと口を揃えて”日本人はいるかをぶっ殺して食っているらしいが一体どういうことだ”と迫ってくるのを、ぴんと来ずに一方的に聞いておりました。
ごらんになった事のない方はぜひとも観る機会を作ってください。
いるか・くじらの人?権・種保護自体の問題もさることながら、この問題における日本の国際社会での大いなるずれ具合がよく分かると思います。また日本のメディアがどれだけ操作されているかも注目ポイントです。
おそらくこの問題の裏側にあるだろう日本の裏社会も垣間見えるように思います。
ストーリーとしては、和歌山県太地町の一部の猟師が行なっているいるか大量輸出(世界中の水族館へ)と追い込み漁による大量殺戮>精肉 への過程がまざまざと描かれています。いるかの愛らしい笑顔に親しみを感じる方であれば、相当なショックを受ける現実を目の当たりにさせられます。
日本でこの映画がどう受け止められているかと思い、ネット検索したところ
-日本の文化に口出すな
-牛や豚も殺しているのに高等生物だから殺したらだめとは西洋文化の押し付けだ。
-いるかが養殖や漁業に被害を出すから殺して当然
こういった西洋対東洋、文化尊重、地元尊重の意見が多いようです。
実は文化尊重の意見に関しては、私も日本を出るまでは基本的姿勢として持っていました が。
国際社会に大きく依存する日本がその中で生き残っていく上で、世界のルールは話し合いで決まる事。よって”おれさまの領域に手も口も出すな”のような一方的な議論がもはや通用しない。
という事をようやく外に出て痛感するようになった私としては、
一部の利権を文化と称して保護する事により、国際社会から批判を食らう日本人。総すかんを食らうという事が日本の将来に今後どういう意味を持つのか、一体本当に分かっているのか、たぶん分かっていません。
と言いたい。+日本という国の国際観の欠落に、相当な危機感を覚えてしまいます。
そもそもこれだけ文化が変化している中で、どうしても守るべき貴重な文化と言えるのでしょうかね、いるかの追い込み漁と捕鯨が??あるいはいるかの追い込み漁がないと成り立たない漁業が?
文化という言葉が、国際化した社会の中で水戸黄門の印籠と化しているのではないでしょうか。
もうそもそも論を突き詰めると、日本の英語教育がひどすぎて、海外の議論が国民・知識層に伝わらない。留学等しても同等の英語力を持って帰る人が少なすぎる。こういう事も大きいと思います。
いるかが虐殺されている という事に対し、何ーーーにも感じない人間と何かを感じる人間がいる。
これは越え難いセンシティビティの問題があります。
損得で考えて、日本国にとって百害あって一利しかなし(一部の強大な利権) の日本のいるか漁・調査捕鯨。
政策決定者の長期的視点に立った理性が、先に走って欲しいと祈りつつ、Conservationistとしては自分ができる事をしっかり考えます。
4.10.2010
確かに、モラルの問題だ。
先日、アルゴアがわれらの学校に来ました。
Climate changeの分野では伝説的人物である彼の来訪に、学校あげて大騒ぎ(無料チケットその場で売り切れ)でした。私ほか環境スクールの学生は、無事全員チケットを割り当てられるという恩恵に預かることができました。
例のInconvinient truthにあるような、派手なPPTを使わない、話だけのシンプルなスタイルであった今回の講演。
最初の20分はひたすら聴衆を笑わせ続け、聞く耳を持たせたところで話に入り、最後は強い強調によるクライマックスにするという流れで、有名なスピーカーのスピーチ力を観察するよい機会でした。
また内容も、昨今の時勢などを考えてなかなか興味深く刺激されるものでした。
ポイント1.昨今のIPCC科学的事実捏造疑惑 により、Climate change自身が存在しないという方向に意識が持っていかれている事の危険性。
:以下は私の議論。
この点は、普通に環境科学を勉強している人以外と会話していると、”結局Climate change自体が怪しいよね”という話になってしまい、危うい考え方が流布されているなぁと普段から感じることでした。
問題自体が巨大な利権に絡むので、政治的圧力によるデータ捏造が行われる可能性がある。という点は非常に重要。
そのため、この人類規模の問題の分析・解決プロセスに監視が必要であるという議論には全く同意します。
が、それと問題自体の存在は全く別。例えて言うと、こういうロジック展開です。
問題 紛争解決の権威的団体、例えば国連などに、社会が紛争関連のデータを専ら頼っていたとする。そしてこの団体が、イラク戦争の犠牲者の数を捏造して伝えていたとする。
結論 おしなべて戦争は思ったより人間に被害を与えない。および国連は全ていんちきである。(一般化)
ヒマラヤ氷河の解氷の速度データが間違っていた事と、その他諸々の個別の疑惑と、Climate changeの存在自体の議論は次元が異なります。コアデータに対する検証度合いと、サブデータに対する検証度合いの落差も大きいです。
気温の上昇と人間活動のCO2排出の統計的連関、気温の上昇により起こる(および既に起こっている)世界的な気象の変化の確率 は科学的にほぼ確証できています。
個別の問題を取り上げて全体的な問題に押し上げようとする政治的圧力が、観察できると思われませんでしょうか。
2.Climate changeはモラルの問題である。
Climate changeは存在しないと議論する友人の全員が決まって言う言葉があります。
人間は地球の気象などに影響が与えられるなどとは、おこがましい。計り知れない複雑性を自然は持っているのである、人間ごときに左右されないのである。
この議論は、私なりに解釈すると、1宗教観 2不確実性の解釈 のミックスを、またもやClimate changeは存在しない方向に持っていくというロジック展開。
1については非科学的なため、コメントの余地がないので控えさせていただきます。
2については、気候サイクルの中に解明されていない不確実性は存在します。大気中のエアロゾルが気温にプラスかマイナスの影響をどれだけ与えているかという点など。
が、この点に頼って、Greenhouse gasの削減は解決不要であるとし、将来的なClimate changeのインパクトに対する責任を完全に棚上げするのは、ロジックの大いなる飛躍です。言葉を悪くして言うと、科学的レポートをきっちり読み込むトレーニングをされていない層に対する思考操作です。
結局のところ、気候変動の一番の問題および脅威は、50年後などにインパクトがもたらされる事。
目の前に大脅威がないので、車なんかを快適に乗りながら、前述のような悠長な議論ができるわけです。自分の家がハリケーンで飛ばされたとなると、それは大騒ぎでしょう。
さらに、問題が存在しないとすると、50年後100年後に、子孫が過酷な自然経済社会環境の中で暮らす事の想像などはしなくて済みます。
またもう少し発想をストレッチして、
人間は神様に守られているので、あるいは人間の適応性は高いので、環境が劣化してもなんとかなる。
ここまで来ると、Climate changeを肯定した上で対策を放棄するという、モラルが崩壊した考え方だと私は思います。
ポジティブに言うと、モラルの観念をもっと長期的に持たなければならないというか。
昔ブログで書いたのですが、昨今の経済社会は短期的な収益獲得に重点が置かれがちな上、変化が激しいため、発想があながち短期的になりがちで、長期的にものを考えない(裏返すと、未来は予測不可能であるという理論に基づいている)という価値観が一般的になっているのではと思っています。
よって、7世代先を考えて自然資源の利用を行うネイティブアメリカンのような発想が持ちにくいのではと、思います。
一般的に人間の環境適応能力は他の種と比べ圧倒的に高いので、与えられた環境の中で生き延びていける可能性が常にあります。
が、社会を外部環境の様々なインパクトに適応させるためには(政治情勢の不安定化、なども含め)相当な社会経済的コントロールを必要とします。
さらに、人間以外の適応能力の低い自然の生物については、完全に無視しているという状態です。他の生物に対するモラル観は、大いに関わるポイントです。
かなり詳細ははしょっているものの、ひさびさにまじめに書いてみました。
Climate changeの分野では伝説的人物である彼の来訪に、学校あげて大騒ぎ(無料チケットその場で売り切れ)でした。私ほか環境スクールの学生は、無事全員チケットを割り当てられるという恩恵に預かることができました。
例のInconvinient truthにあるような、派手なPPTを使わない、話だけのシンプルなスタイルであった今回の講演。
最初の20分はひたすら聴衆を笑わせ続け、聞く耳を持たせたところで話に入り、最後は強い強調によるクライマックスにするという流れで、有名なスピーカーのスピーチ力を観察するよい機会でした。
また内容も、昨今の時勢などを考えてなかなか興味深く刺激されるものでした。
ポイント1.昨今のIPCC科学的事実捏造疑惑 により、Climate change自身が存在しないという方向に意識が持っていかれている事の危険性。
:以下は私の議論。
この点は、普通に環境科学を勉強している人以外と会話していると、”結局Climate change自体が怪しいよね”という話になってしまい、危うい考え方が流布されているなぁと普段から感じることでした。
問題自体が巨大な利権に絡むので、政治的圧力によるデータ捏造が行われる可能性がある。という点は非常に重要。
そのため、この人類規模の問題の分析・解決プロセスに監視が必要であるという議論には全く同意します。
が、それと問題自体の存在は全く別。例えて言うと、こういうロジック展開です。
問題 紛争解決の権威的団体、例えば国連などに、社会が紛争関連のデータを専ら頼っていたとする。そしてこの団体が、イラク戦争の犠牲者の数を捏造して伝えていたとする。
結論 おしなべて戦争は思ったより人間に被害を与えない。および国連は全ていんちきである。(一般化)
ヒマラヤ氷河の解氷の速度データが間違っていた事と、その他諸々の個別の疑惑と、Climate changeの存在自体の議論は次元が異なります。コアデータに対する検証度合いと、サブデータに対する検証度合いの落差も大きいです。
気温の上昇と人間活動のCO2排出の統計的連関、気温の上昇により起こる(および既に起こっている)世界的な気象の変化の確率 は科学的にほぼ確証できています。
個別の問題を取り上げて全体的な問題に押し上げようとする政治的圧力が、観察できると思われませんでしょうか。
2.Climate changeはモラルの問題である。
Climate changeは存在しないと議論する友人の全員が決まって言う言葉があります。
人間は地球の気象などに影響が与えられるなどとは、おこがましい。計り知れない複雑性を自然は持っているのである、人間ごときに左右されないのである。
この議論は、私なりに解釈すると、1宗教観 2不確実性の解釈 のミックスを、またもやClimate changeは存在しない方向に持っていくというロジック展開。
1については非科学的なため、コメントの余地がないので控えさせていただきます。
2については、気候サイクルの中に解明されていない不確実性は存在します。大気中のエアロゾルが気温にプラスかマイナスの影響をどれだけ与えているかという点など。
が、この点に頼って、Greenhouse gasの削減は解決不要であるとし、将来的なClimate changeのインパクトに対する責任を完全に棚上げするのは、ロジックの大いなる飛躍です。言葉を悪くして言うと、科学的レポートをきっちり読み込むトレーニングをされていない層に対する思考操作です。
結局のところ、気候変動の一番の問題および脅威は、50年後などにインパクトがもたらされる事。
目の前に大脅威がないので、車なんかを快適に乗りながら、前述のような悠長な議論ができるわけです。自分の家がハリケーンで飛ばされたとなると、それは大騒ぎでしょう。
さらに、問題が存在しないとすると、50年後100年後に、子孫が過酷な自然経済社会環境の中で暮らす事の想像などはしなくて済みます。
またもう少し発想をストレッチして、
人間は神様に守られているので、あるいは人間の適応性は高いので、環境が劣化してもなんとかなる。
ここまで来ると、Climate changeを肯定した上で対策を放棄するという、モラルが崩壊した考え方だと私は思います。
ポジティブに言うと、モラルの観念をもっと長期的に持たなければならないというか。
昔ブログで書いたのですが、昨今の経済社会は短期的な収益獲得に重点が置かれがちな上、変化が激しいため、発想があながち短期的になりがちで、長期的にものを考えない(裏返すと、未来は予測不可能であるという理論に基づいている)という価値観が一般的になっているのではと思っています。
よって、7世代先を考えて自然資源の利用を行うネイティブアメリカンのような発想が持ちにくいのではと、思います。
一般的に人間の環境適応能力は他の種と比べ圧倒的に高いので、与えられた環境の中で生き延びていける可能性が常にあります。
が、社会を外部環境の様々なインパクトに適応させるためには(政治情勢の不安定化、なども含め)相当な社会経済的コントロールを必要とします。
さらに、人間以外の適応能力の低い自然の生物については、完全に無視しているという状態です。他の生物に対するモラル観は、大いに関わるポイントです。
かなり詳細ははしょっているものの、ひさびさにまじめに書いてみました。
4.09.2010
Durham、カフン大魔境
Durhamに花粉の季節がやってきました。
これまで会った留学生およびアメリカンの誰に聞いても
”このようにすさまじい量の花粉は他のどこでも出くわした事がない”と口を揃えていいます。
という事で勝手に、”Durham、世界一のカフン大魔境”認定をさせて頂きました。
さていったいどのように魔境での生活がすごいかと、言いますと
Kフン指定ブログ
~以下の文章には花粉症の方が気持ち悪くなる描写が含まれていますので、ご注意下さい~
1 外でお弁当を食べていたら、白ご飯がターメリックライスになった。
2 一週間前は幸せそうな日光浴の人々が見られたが、花粉激増以降、外に人が見られない。
3 息をしたら花粉でのどがつまる。一歩外に出ると、鼻のま横に花が咲いているような気(香り)がする。
4 黒いTシャツを干していたら阪神タイガースTシャツになった。
5 友人の車の助手席には水のボトルが備えてある。ちょくちょく水で花粉を流さないとすぐフロントガラスが見えなくなって事故るから。ぴかぴかの青いスポーツカーが自慢だった同級生の車は黄色がまざってへんな緑色に変色している。
6 室内でパソコンを叩いていたら、花粉で画面が曇った(どっかの隙間から花粉が入ってくる)。パソコン壊れませんように。
道では黄色い風がバサーバサーと吹いていて、ナンだか怖いです。
気持ちのいい午後、公園で昼寝していたら、全身に花粉が積もりました(風の谷のナウシカの一場面をイメージしてください)。
微妙に鼻が反応している私も、いつか”閾値”越えてしまいそうで、びくびくしています。(花粉症の方は本当に気の毒っす・・・)
アメリカ南東部(この街含む)は、19X0年代に森をクリアカットし、松をびっしり植えつくした地域です(日本と同じ)。
局地的な現象のためか、花粉症医療やグッズはこちらでは発達していないようで(マスクなんてする人はゼロ)す。
これまで会った留学生およびアメリカンの誰に聞いても
”このようにすさまじい量の花粉は他のどこでも出くわした事がない”と口を揃えていいます。
という事で勝手に、”Durham、世界一のカフン大魔境”認定をさせて頂きました。
さていったいどのように魔境での生活がすごいかと、言いますと
Kフン指定ブログ
~以下の文章には花粉症の方が気持ち悪くなる描写が含まれていますので、ご注意下さい~
1 外でお弁当を食べていたら、白ご飯がターメリックライスになった。
2 一週間前は幸せそうな日光浴の人々が見られたが、花粉激増以降、外に人が見られない。
3 息をしたら花粉でのどがつまる。一歩外に出ると、鼻のま横に花が咲いているような気(香り)がする。
4 黒いTシャツを干していたら阪神タイガースTシャツになった。
5 友人の車の助手席には水のボトルが備えてある。ちょくちょく水で花粉を流さないとすぐフロントガラスが見えなくなって事故るから。ぴかぴかの青いスポーツカーが自慢だった同級生の車は黄色がまざってへんな緑色に変色している。
6 室内でパソコンを叩いていたら、花粉で画面が曇った(どっかの隙間から花粉が入ってくる)。パソコン壊れませんように。
道では黄色い風がバサーバサーと吹いていて、ナンだか怖いです。
気持ちのいい午後、公園で昼寝していたら、全身に花粉が積もりました(風の谷のナウシカの一場面をイメージしてください)。
微妙に鼻が反応している私も、いつか”閾値”越えてしまいそうで、びくびくしています。(花粉症の方は本当に気の毒っす・・・)
アメリカ南東部(この街含む)は、19X0年代に森をクリアカットし、松をびっしり植えつくした地域です(日本と同じ)。
局地的な現象のためか、花粉症医療やグッズはこちらでは発達していないようで(マスクなんてする人はゼロ)す。
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