8.08.2010

女性のこと

村で調査をするようになってから、女性の地位というものをよく考える。

私のインタビュー対象は世帯主、ここでは100%男性、である。

そして私の訪れる村では女性と男性の生活圏は完全に離れている。

私がインタビュー場所としている広場で、休憩時間にたむろしているのは男性だけで、女性はなんやかやと家の方で家事をしている。

男性が食事をする場にも、女性は来ない。(というより恐らく、文化的に、来てはならない。)

まず確かに、村の集会に女性が参加して意見を言う機会はない、と見られる。

私自身男性の場所にしか行かないので、女性の生活に目を向ける機会が、あまりなかった。(私は女性にして男の服(シャツ&パンツ&田んぼを歩くための長靴)を着、男性の場所にしかいない、変な人なんである。)

が先日、モスクの壁に 女性厳禁 と書いてあったのと、色んなことわざなんかが彫ってあったりある家々の壁に、完璧女性蔑視の文言を見たときに、気になり始めた、女性の地位。

最近気がついた事だが、村で女性がよく、亡くなっている。

統計学的に全然正しくないサンプリングだが、3週間でもう3人もなくなっている(周りの村むらで)。

インタビュー時にも、一人目の奥さんなくなったから、二人目もらいました、という話が時々出る。

ちなみに男性がこの辺でなくなった話はまだ聞いていない。

この地域ではやはり、女性の平均寿命の方が男性より短いのであろうか。

先日なくなった方の死因は自然死(夜寝たまま、朝起きなかった。)、50歳ほどの方との事。

今まで回った村で、太った女性を見たのはたったの一度だけ(彼女はハッピーに見えた。愛されているのだろうか)。女性は大体、すごく、細くて、なんだか儚い顔をしている。底抜けに明るいアフリカンマムみたいな人には、なかなか会う機会はない。

あ、もちろん村では男性も大体、引き締まった体か、痩せてはいるが。(太っているのは農業をしていない人。)

そしてお腹の大きい女性が大変多い。23歳の男性で子供5人という人がいた。71歳で今度赤ちゃんが生まれるという老人がいた。確か2人目の奥さんで、20人目のこどもだったか。女性は常に孕み続けているのである。労働力として生みおとされた子供たちが、教育を受ける機会があった場合、その後多数は村を去るだろうにも関わらず。
バースコントロールなる言葉は、この社会では、存在していない。多産では、身体的な負担も、やはり多いのではないだろうか。

原始的な農業の村では、男性が力仕事、女性が家事労働となるのは、ごくごく自然な事と見受けられる。
が、やっぱり個人的には、女性が男性の下に位置づけられている事と、健康上のリスクを取りながら出産マシーン化している事は、納得、いかない、のである。。。

1 comment:

Queema Curry said...

考えさせられるね〜いつもブログを読んでるケド。
(ゴメン、英語に英語で返答するより、日本語の投稿に日本語で返答する方が楽だから、コメント少なくて)

とにかく、私は教育がいかに大切かってのを思うね。
教育というと大袈裟だけど、「知る」ということ。
男性であっても、女性であっても、
いろいろなコトを学び知ること、
これは机の上の勉強だけに限らず、仕事として役立つ技術や、いろんな国の事を知る、他人の考えを知ること、
大事だと思うんだ。

女性は子供を産むことができる、これは特典でもあり、
ケースによれば欠点にもなるね。

でも、女性であっても、男性であっても、
教育だけは平等に受けて欲しいなって思う。
その上で、人生何をするか決めればいい。
(もう運命が決まってる場合、これは逆に酷かなぁ)
結果的に男性が力仕事、女性が家事労働となっても。

新しいコトを知るということは、
気持ち的にも前向きになるし、将来を考えられる。
次の世代にもつながっていく、
ゆくゆくは国の繁栄にもつながると思うんだけど。

これも、US側の人間の偏った考え方かな、とも。