2.28.2009

Think critically.

人間、10年に1回はリベラルアーツを学びなおした方がいいのではないか、
という気が最近しています。

最近、ぷろふぇっしょなるすくーるの学生として費やす時間の目的を見直しつつあります。
果たして卒業後の金儲けだけに意識を置いていていいのか?
プログラムは力いっぱいそちらに向いており、我々学生は牛のようにそのような目標に向けた
タスクに休みなく追いたてられる毎日。未来に向けて当然土日返上睡眠返上。さらに学費ローン等という

先行投資の仕組みにより、将来の明るい選択肢もすっかり狭まり気味です。
書いていて疲れました。

大学の最大の便益は精神の自由。
”現実社会”の延長線上には限られない、
何をどのように考えても許される場所。
そして常に批判的精神。
かつての自分の価値観への挑戦。

家で本を読んだり教養を積んでも相当カバーできる事ではありますが、
一旦社会から切り離されてしまった勢いで、今までやってみたかった
けどやっちゃいけないと思っていた 事を実際にやってしまう。
という 切り離し効果? も大です。

NYTimesに、不況の影響でますますリベラルアーツの予算カット
が進み、80年代以降のTechnology,business,lawなどの実学傾向がますます高まる
であろうという記事が載っていました。

自分自身プロフェッショナルスクールに属していますが、幸か不幸か
経済的利益を考えていない(・・)environmental Scientists達の授業を取らされるおかげで、
アカデミアの持つ批判精神の意義を最近実感しています。
(Undergraduateでも一番影響を受けた先生は哲学者だった・・)

理想論くさいですが、自分の学ぶ学問体系自体への疑問だとか、自分のプロフェッション
の目的自体への疑問だとか、ひいては政治社会経済自体の疑問
だとか、いったものが、最終的には批判にもとづく新しい選択肢を社会に提供しうるんだと思うんです。
でも友人達とそんな議論をする時間も、(言語能力も?)ありません。

少なくともUndergradでは、質の高い(日本のみたいにモラル崩壊したやつではなく!)
リベラルアーツ教育がものすごく大事だと思います。(みているとやつらは飲んでばかりだが・・)

社会人が戻ってくる大学院はどうかというと、PhDはさすがに現実から力いっぱい切り離される
おかげで、精神の自由が許されています(教授に何があってもYesと言い続ける義務以外においては)。が、
Masterのことプロフェッショナルスクールで期待されるCritical thinkingは、当然その分野の範囲内に限られます。

Middle careerの人間のリベラルアーツというのは、以外と社会にとってポジティブだと思うのですが、
せっかく大学に戻ってもよけいな事に費やす時間はな~い!
一刻も早くもとの(あるいはよりよい)ポジションに戻らねば。
のような強迫観念が漂うプロフェッショナルスクール・・・(そして私・・?)
時間の余裕が許されない社会に自分は所属しているんだなーと感じます。

まぁそんな事を考え始めた時点で、当初の目的とは少し違う方向へ、
向かい始めているのかもしれません。 これぞ大学の教育効果か?

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