7.24.2010

特別であること

通勤で使っている(調査アシスタントのS氏が運転)バイクの不調で、修理屋に立ち寄った。



修理屋といっても雨よけにヤシの葉がのっけてある、看板も壁もない一角で若者が営む、その日暮らしの商売。

彼らは直す事を知っている。バイクの部品なんか、ちょいちょいと分解してしまう。体で覚えたことを商売にして、



時間をかけて直してくれたお代は60ナイラ(40セント)。ぼることもしない。カメラを向けるのもはばかられるが、お願いして撮らせてもらう。






























その横で何にもせずに横たわっている別の若者が、ピーナツ俺に買ってよこせと言った。あげてもよかったけど、何でおまえに?と思い無視。ふくれていた。このように人によって、無心する人としない人がきっぱりとわかれる。


今日宿に戻ったら、昨日からとなりの部屋に女性を買って呼んで騒いでいる、政府勤めだというNigeria人が表でごろごろしていた。Nigeriaの役人は民間人よりだいぶ信用できない。俺にはヘルメットくれないのと言った。本気でもないがひとまず無心するのがここの一部のかたがたの習慣らしい。

ついでに君や僕みたいな特別な人間はどーたら、と話しかけてきた。ちょっと、イラッときた。

(Nigerianのスーパースローペースには、まったくいらつかない私であるが。)

この国で特別なのは40セントでこつこつまじめに暮らしている修理屋の彼みたいな市井の人じゃボケ。と言いたくなった。




アフリカは貧しいと人は言う。


豊かな国の我々は生活にさして関係のない享楽に金をつぎ込んで、それを豊かさと呼んだりしている。


すれ違っても挨拶しない、隣の住人も知らない。



水が出るだけ、電気が来るだけ、雨が降って食べ物が実るだけ、寒をしのぐ衣服と建物があるだけ、

それだけでありがたいと感じられる事はとても大事だと思う。教育と医療、交通や通信などのサービスが手に入る事が豊かだと思える事も。


という事自体を思い出すことのできる機会を持つことは、大事だ。


村では子どもたちが農作業を普通に手伝って、姉が妹の子守をする。兄が弟の面倒をみる。


すれ違うと時間をかけて丁寧に挨拶。ようこそお越しくださいました、旅はどうでしたか、お疲れ様です、どうもお疲れ様です。


知らない私に食べ物を差し出してくれる。あぁどちらの心が豊かなのでしょうか。


1 comment:

Queema Curry said...

何か考えさせられるよね。
日本やアメリカから離れて生活すると、
客観的に見れるし。
アフリカで生活して感じること、考えること、
たくさんあるんだろうね。
何が正しいとか、
どこの国がいいかと決めるのは難しいけれど。