4.10.2010

確かに、モラルの問題だ。

先日、アルゴアがわれらの学校に来ました。
Climate changeの分野では伝説的人物である彼の来訪に、学校あげて大騒ぎ(無料チケットその場で売り切れ)でした。私ほか環境スクールの学生は、無事全員チケットを割り当てられるという恩恵に預かることができました。

例のInconvinient truthにあるような、派手なPPTを使わない、話だけのシンプルなスタイルであった今回の講演。

最初の20分はひたすら聴衆を笑わせ続け、聞く耳を持たせたところで話に入り、最後は強い強調によるクライマックスにするという流れで、有名なスピーカーのスピーチ力を観察するよい機会でした。

また内容も、昨今の時勢などを考えてなかなか興味深く刺激されるものでした。

ポイント1.昨今のIPCC科学的事実捏造疑惑 により、Climate change自身が存在しないという方向に意識が持っていかれている事の危険性。

:以下は私の議論。

この点は、普通に環境科学を勉強している人以外と会話していると、”結局Climate change自体が怪しいよね”という話になってしまい、危うい考え方が流布されているなぁと普段から感じることでした。

問題自体が巨大な利権に絡むので、政治的圧力によるデータ捏造が行われる可能性がある。という点は非常に重要。

そのため、この人類規模の問題の分析・解決プロセスに監視が必要であるという議論には全く同意します。

が、それと問題自体の存在は全く別。例えて言うと、こういうロジック展開です。

問題 紛争解決の権威的団体、例えば国連などに、
社会が紛争関連のデータを専ら頼っていたとする。そしてこの団体が、イラク戦争の犠牲者の数を捏造して伝えていたとする。

結論 おしなべて戦争は思ったより人間に被害を与えない。および国連は全ていんちきである。(一般化)

ヒマラヤ氷河の解氷の速度データが間違っていた事と、その他諸々の個別の疑惑と、Climate changeの存在自体の議論は次元が異なります。コアデータに対する検証度合いと、サブデータに対する検証度合いの落差も大きいです。

気温の上昇と人間活動のCO2排出の統計的連関、気温の上昇により起こる(および既に起こっている)世界的な気象の変化の確率 は科学的にほぼ確証できています。

個別の問題を取り上げて全体的な問題に押し上げようとする政治的圧力が、観察できると思われませんでしょうか。


2.Climate changeはモラルの問題である。

Climate changeは存在しないと議論する友人の全員が決まって言う言葉があります。

人間は地球の気象などに影響が与えられるなどとは、おこがましい。計り知れない複雑性を自然は持っているのである、人間ごときに左右されないのである。

この議論は、私なりに解釈すると、1宗教観 2不確実性の解釈 のミックスを、またもやClimate changeは存在しない方向に持っていくというロジック展開。

1については非科学的なため、コメントの余地がないので控えさせていただきます。

2については、気候サイクルの中に解明されていない不確実性は存在します。大気中のエアロゾルが気温にプラスかマイナスの影響をどれだけ与えているかという点など。

が、この点に頼って、Greenhouse gasの削減は解決不要であるとし、将来的なClimate changeのインパクトに対する責任を完全に棚上げするのは、ロジックの大いなる飛躍です。言葉を悪くして言うと、科学的レポートをきっちり読み込むトレーニングをされていない層に対する思考操作です。

結局のところ、気候変動の一番の問題および脅威は、50年後などにインパクトがもたらされる事。

目の前に大脅威がないので、車なんかを快適に乗りながら、前述のような悠長な議論ができるわけです。自分の家がハリケーンで飛ばされたとなると、それは大騒ぎでしょう。

さらに、問題が存在しないとすると、50年後100年後に、子孫が過酷な自然経済社会環境の中で暮らす事の想像などはしなくて済みます。

またもう少し発想をストレッチして、

人間は神様に守られているので、あるいは人間の適応性は高いので、環境が劣化してもなんとかなる。

ここまで来ると、Climate changeを肯定した上で対策を放棄するという、モラルが崩壊した考え方だと私は思います。

ポジティブに言うと、モラルの観念をもっと長期的に持たなければならないというか。

昔ブログで書いたのですが、昨今の経済社会は短期的な収益獲得に重点が置かれがちな上、変化が激しいため、発想があながち短期的になりがちで、長期的にものを考えない(裏返すと、未来は予測不可能であるという理論に基づいている)という価値観が一般的になっているのではと思っています。

よって、7世代先を考えて自然資源の利用を行うネイティブアメリカンのような発想が持ちにくいのではと、思います。

一般的に人間の環境適応能力は他の種と比べ圧倒的に高いので、与えられた環境の中で生き延びていける可能性が常にあります。

が、社会を外部環境の様々なインパクトに適応させるためには(政治情勢の不安定化、なども含め)相当な社会経済的コントロールを必要とします。

さらに、人間以外の適応能力の低い自然の生物については、完全に無視しているという状態です。他の生物に対するモラル観は、大いに関わるポイントです。

かなり詳細ははしょっているものの、ひさびさにまじめに書いてみました。

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